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個数を最初に覚える学習方法

つい先日、あるバラエティー番組を見ていましたら、その回は高学歴の芸能人、タレントが4人出演していました。


その人たちは自分の学生時代の勉強方法を時折語っていたのですが、その中の一人の勉強方法が印象的だった、というか自分もそういうところあるよなぁと思ったのでここに書きたいと思います。


それは、暗記をする時にまず、暗記すべきものが「いくつあるかを最初に覚える」という方法です。


例えば、中学数学2年の図形の中に「平行四辺形になるための条件」というものがあります。

 

これは全部で「5つ」あります。

 

条件を覚える前にまず、「5つある」ということを頭に入れておきます。

 

その後で条件を覚えていきます。

 

そうすれば、思い出そうとした時に4つしか出てこなかったらまだ1つ覚えきれていないということが分かります。

 

全部覚えたつもりでも答えを確認したら「あれ?もう一つあった・・・。」となったらまだまだ甘いということです。


逆に5つ出てきたら、内容が合っているかどうかは別として、それ以上はもうないと分かります(もう一つあったかな?と悩む必要がなくなります)。


三角形の合同条件と相似条件は3つですが、直角三角形の合同条件は2つです。

 

こういう違いに気が付けば少しはやりやすくなるかもしれませんね。

2024年04月26日

計算の工夫その2

足し算の工夫です。


あるクイズ番組を見ていましたら「画面に表示された数字を全て足しなさい」という問題が出ました(制限時間付きだったと記憶しています)。

 

数字が6個くらい書いてありましたが、横1列に並んでいるわけではなく、中には斜めになっていたり逆さまになっている数字もありました。

 

横1列で書くと、2、4,8、1、2、6、のような感じです。


この6つの数字を前から足していくと、2+4=6,6+8=l4・・・となりますが、工夫して計算すると、(2+8)+(4+6)+(1+2)=10+10+3=23となります。


つまり、足して10になるものを先に探していくと早くできます。


実際には紙に書かずに頭の中で2と8で10,4と6で10、ここまでで20、残った1と2を足して23と暗算します。

2024年04月24日

計算の工夫その1

私が子供の頃、親に×4の暗算方法を教わりました。


それはまず2倍して、さらに2倍すれば4倍になるという方法です。


例えば15×4の場合、まず15を2倍して30、さらに30を2倍して60となります。これなら筆算せずに済みます。

(15×2を暗算でできない人は筆算してください。)


逆に÷4も同様にできます。


1000÷4の場合、まず1000を2で割って500,さらに500を2で割って250となります。

次に中学校で習う累乗の計算についてです。

 

3の4乗は3×3×3×3のことですが、前から順番にやっていくと3×3=9、9×3=27,27×3=81となります。

 

私の生徒たちを見ても、このように前からやっていく生徒は何度も見てきました。


工夫してやると、(3×3)×(3×3)=9×9=81となります。これなら、かけ算九九だけでできますね。これを教えると大抵の生徒は「おぉ!」となります(笑)。


さらに、かけ算の工夫です。


例えば、2×3×4×5は(2×3)×(4×5)=6×20=120とやるか、(2×5)×(3×4)=10×12=120とやれば早くできるでしょう。

2024年04月22日

英語と名前と発音の話

かつて中学1年生のはじめ、英語の授業で名前の言い方を習いました。

当時はJun Suzuki のように姓を後で言うのが当たり前でした。

 

英語の授業中、誰かが「なんで日本語の順番じゃダメなの?」と聞いた時、英語の先生は「英語を使う国ではそうなっているのだからそれに合わせるのが当然でしょ」と力説していた記憶があります。

私は後になってから、「じゃあ、アメリカ人が日本に来て日本語で自己紹介する時は、日本語に合わせて姓を先に言うのかな?」と疑問に思ったものです。

例えば、当時人気だったハリウッドの俳優が映画の宣伝で日本に来て日本語であいさつをする時、
「日本のみなさん、こんにちは。シュワルツェネッガー アーノルドです。」と言うのだろうか?と疑問に思ったのです。

おそらく言わないでしょうし、日本の新聞や雑誌でアメリカ人の名前を載せる時も日本語の姓名の順番になっているのを見たことがありません。

そもそも私はSuzuki Jun であって、Jun Suzuki ではない。それが日本人の名前、固有名詞なのだから変える必要はない、とも思っていました。

別な機会に、日本人の姓と名を区別するために姓は全て大文字で書く、という方法があることを知りました。

つまり、順番は関係なしにSUZUKI Jun と書けば、SUZUKIが姓であると分かるということです。

現在の教科書では順番はどちらでもいい、ということが書いてあります。

そして外国人の名前の表記と言えば、もう一つ前々から気になっていることがあります。


それはvの発音の表記です。日本人にはbとvの発音の違いは難しいです。
そこで、名前にvが入っている外国人のカタカナ表記をヴに統一したほうがいいのではないかと思うのです。


例えば、テニスのジョコヴィッチ選手をジョコビッチと表記している場合があります。
また、映画バイオハザードで有名な俳優ミラ ジョボビッチと書いてあるものもありますが、ジョヴォヴィッチと表記し、できるだけ元の発音に近い音で発音した方がいいと思うのです。
(「ビッチ」では「bitch」 に聞こえてしまい、あまりにも失礼ではないかと思うのです・・・。)

だいぶ前のことです。

テレビで映画バイオハザードが放送されまして、その時、新作の宣伝か何かで本人が映像で登場しコメントしたのですが、その時の最後の部分の発音が私には「ウィッチ」に聞こえました。

(wikiによると、「ヨヴォヴィッチ」が出生地ウクライナの発音に近いらしいです。)

名前に限らず、外来語として使われている言葉、volume(音量、分量)は「ボリューム」ではなく「ヴォリューム」、色のnavyは「ネイビー」ではなく「ネイヴィ」と書くようにすればbとvの違いを意識するようになるのではないでしょうか。

rとlの表記も何とかならないものかとは思います。


レッド(red、赤)、ブラック(black、黒)はカタカナで書くとどちらもラ行ですが、rとlは発音が違います。

 

リラックス(relax)は r と l が両方入っています。

今まで何度か聞いた話ですが、米飯を表す「ライス(rice)」は日本人が発音するとlice(シラミ)に聞こえるそうです。


「れッド」「らイス」「りラックス」とあえて r の発音をひらがなで書くという方法もあるかもしれません。

名前の話から離れてしまいましたが、もう一つ前々から気になっていることがあります。


she (彼女は)とsea(海)は発音が違いますが、カタカナで書いてしまうとどちらも「シー」になってしまいます。

 

sheは「静かにして」と言う時、上に向けた人差し指を口の前に置くジェスチャー付きで「し~」と言う時の発音ですね。

seaはどちらかというと「スィー」と書く方が近いと思いますがどうでしょうか。


とは言え、「ディズニーシー」を「ディズニースィー」と書いたらちょっと間が抜けた感じがしないでもないですね・・・。(「シー」と書いたほうがクールな感じがしないでもない。)


そしてさらに、city(都市)を「シティー」と発音するのはいかがなものかと。

 

最初の部分はseaの「スィ」と同じです。でないと、「shitty」になってしまいます。

 

Kooriyama city(郡山市)が Kooriyama 「shitty」になってはいけません。

英語を学んだ若い人たちが外国で恥をかかないように願うばかりです。

2024年04月03日

いじめにあった話その1

私は生涯で2度いじめに遭いました。

この事は家族や当時の先生やクラスメート以外は誰も知りません。

いじめから解放された後に出会った人たちには一切話したことがありません。


今回ここでこの話を書こうと思ったのは、今年で50歳になり、過去を振り返る機会も多くなり、もうずいぶん昔の話ですしもう誰かに話してもいいかと思ったからです。

また、いじめの話を聞くたびに心が痛み、特に子供を持つ親御さんたちには子供の異変を見逃してほしくないという思いもあります。

一度目は幼稚園の時です。


同じクラスに体の大きないじめっ子(男子)がいました。

私の何が気に入らなかったのかよく分かりませんが、私は子供のころから周りの子供よりも体が小さかったので、いじめやすかったのかもしれません。


私は幼稚園に行くのが嫌でした。


ある日、どうしても行きたくなくて、コタツの中に隠れました。


家じゅう大騒ぎになりました。

 

外からは、父や母が私を捜し、呼ぶ声が聞こえてきます。


そのうち見つかってしまいましたが、その直後どうなったのかは憶えていません。


おそらくその日ではないと思うのですが、私の記憶では、幼稚園の送迎用の車(バスではなく普通の乗用車でした。)に乗せられて、車の中から自分の家が次第に遠ざかっていく風景を寂しい気持ちで見ていたのを今でも憶えています。


いじめから解放されたのは父の転勤にともない、郡山への引っ越しが決まったからです。


最後の登園の日、クラスの皆一人ひとりとお別れの握手をしましたが、そのいじめっ子はわざと強く私の手を握ったのを憶えています。

郡山に来て、別な幼稚園に通いましたが、そこではいじめはありませんでした。


むしろ転校生の私はクラスの皆から珍しがられ、人気者となりました。


何かの催し物でクラスの代表を選ぶ時には、よく私が選ばれました。


ある時、先生が「いつもじゅん君ばかりだから、今回は別な人を選ぼうね」と言ったのを憶えています。

クラスに仲のいい友達ができ、休み時間に一緒にサッカーボールでよく遊びました。

 

その友達とは小学校が別だったので卒園とともに会うことはなくなってしまいました。

(いつかその2を書きます。)

2024年03月20日

気になる言葉2

最近あるドラマを見ていましたら、登場人物の一人が「私には負ける自信がある」というようなことを言っていました。

この言葉を聞いて、私は違和感を覚えるとともに、昔教えていた生徒を思い出しました。


その生徒は当時1期選抜という制度で少し早めに高校に合格が決まりましたが、その後も中学校を卒業する3月までは塾に来ていました。


そして、高校生になっても通いたい、と言ってくれました。


生徒「高校の授業についていけない自信がある」(だから高校生になっても塾に来たい)


私「・・・それはつまり、高校の授業についていく自信がないってこと?」


生徒「そうとも言う」(笑)


私(笑)

当時、この生徒は面白い表現をするなぁ、と思ったものです。


でもまあ、中学生の言うことですし、塾の先生相手ですから面白半分に言ったのでしょう。

それから約20年近くが経ち、冒頭のドラマでの台詞を聞きました。


このドラマとは、2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」です。


江戸幕府2代将軍徳川秀忠が、豊臣秀吉の息子である豊臣秀頼と自分を比較し、自分は秀頼に「負ける自信がある」と、涙ながらに父、徳川家康に訴えるシーンです。
(「勝つ自信がない」ではなく、「負ける自信がある」です。)

私の違和感は、できないことを自信を持って真剣に言う人がいるのだろうか、という点にあります。

 

私の生徒は中学生でしたし、笑いながら言っていましたが、徳川秀忠は大人、しかも妻子もある将軍ですからね。

 

私が家康なら、「そんなことを堂々と言うなよ・・・」と言いたくなります。それか、「おい、今の表現おかしいだろ!」と突っ込みたくなりますよ。

 

ここまで書いていたら、違和感を通り越して、滑稽さを感じるようになってきました。

(去年の大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」はコメディ要素満載でしたが。)

しかも、江戸時代です。この時代にこのような言葉遣いをする人がいたのだろうか、とも思います。

 

いや、ひょっとしたらいたかもしれませんが。。

そもそも自信があるというのは、できるからこそ自信があるのに、できないことに対して「自信がある」とは言わないでしょう。

若者にも見て欲しくて、あるいは共感して欲しくて、敢えて砕けた表現を使っているのかもしれませんが、やはり歴史ドラマはあまり現代風にして欲しくないな、というのが私の個人的な感想です。

ここから余談です。


上述の生徒は「高校生になってからも通いたい」と言ってくれましたが、保護者が許可してくれなかったようでして、「塾代は自分でバイトして稼ぐ」とまで言っていました。


それで、結局どうなったのかと言いますと、私はその3月にその塾を退職したので分かりません。

色々思い出すことがあったので、さらに余談を続けます。


この時と同じ年、別な生徒も「高校生になってからも通いたい」と言ってくれました。ただし、「鈴木先生が教えてくれるなら」という条件付きでした。

 

この生徒は元々私が担当する生徒ではなかったのですが、時々、他の講師の代理で教えたり、テスト前の追加の授業だけ教えたりしていました。

 

元々の担当の講師は高校生を教えられる人ではなかったので、私を選んでくれたのだと思いますが、それでも他の講師ではなく自分を指名してもらえるのは嬉しい限りです。

「バイト代で塾に通う」ということで思い出したことがあります。


数年前に教えた高校生は、ある県内の大学に合格したのですが、大学1年の夏休み前に、大学で習っている数学を教えてほしいということで数回の授業をしたことがあります。


その時、その生徒は大学生になってからアルバイトをしたお金で私に授業料を払ったようです。


保護者様は子供に「いいの?」と聞いていましたが、本人は「うん、大丈夫」と言って払っていました。


良いことじゃないですか。


自ら汗水垂らして稼いだお金で人に何かを習う。


だからこそ少しでも無駄にはでず、真剣に習う気持ちになるというものです。
(その生徒はいつも真面目でしたが。)

2023年12月10日

テスト前に塾を休む生徒

少し前のブログで、テスト前に塾を休む生徒(高校生)の話を書きました。


中学校でもワークの提出などはありますが、進学校になると提出物の量も多いです。


そして、大抵は定期テスト直後に提出期限があります。


つまり、ワークなどの問題集のテスト範囲の部分を全てやって、テストが終わったら提出というパターンです。

今まで教えた生徒でテスト前に塾を休む生徒というのは、「自分で勉強したいから」と言うのですが、おそらくは提出物を終わらせるためだと私は考えています。


提出範囲はテスト範囲と同じなのだから、それはそれで復習になっていいのでは?と思うかもしれませんね。


しかし、テストで点数を取るためには、点数を取るための勉強をしなければいけません。いくら試験範囲に入っているとは言え、これは定期テストではまず出ないだろうという問題もあります。逆にこれは確実にできるようにしておかねばならない、と言う問題も多々あります。


そこを知らずに、闇雲に勉強すればいいというものではありません。そのために塾に来ているのだから、テスト前に先生に出題されやすいところを教われば良いのに、とつくづく思います。


そのためには提出物は早めにやっておくのが肝心で、テスト前は出やすい問題を集中的に復習するのが良いでしょう。

2023年11月30日

母校の大学

だいぶ前ですが、問い合わせの電話を頂いた時に、「先生の出身大学はどちらですか?」と聞かれました。


「茨城大学です。」と答えましたが、「茨城県にある大学ですか?」と聞き返されました。


私はちょっと不思議に思いながら「そうです。」と答えましたが、相手の方は「茨城のなんと言う大学ですか?」とまた聞き返してきました。


私はまた「茨城大学です。」と答えました。
相手の方「そうですか・・・。」


この時点で私は、この方は茨城県に「茨城大学」という名前の大学があるということを、たぶん分かっていないんだろうな、と確信しましたが、別な話に移ってしまったので私もこれ以上言うのをやめました。

福島県福島市に「福島大学」があり、山形県山形市に「山形大学」があるように、各県庁所在地には国立大学があります。

 

(全都道府県庁所在地にあるかどうかは知りませんが、おそらくあると思います。茨城大学は水戸市にあります。そしてこれが「駅弁大学」などと揶揄される所以です。)

さりながら、茨城県にある国立大学と言えば、おそらくは筑波大学のほうが有名なのでしょう。


私が在学中、筑波大学ではノーベル物理学賞を受賞した江崎玲於奈博士が学長でした。我が茨城大学の学長は「お隣みたいな立派な学長とは違うよ。」と自虐ネタにして笑いを取っていたのを思い出します。

(失礼ながら好々爺と言った感じの学長でした。)

 

ありていに言えば、地味で目立たない大学です。
(私の生徒の中には、都会の大学に行きたい、という生徒もいましたが、私は全く逆で都会に行きたいとか生活したいとか思ったことがありませんでした。)

しかし、茨城大学の名前をちゃんと知っている方もいまして、私が出身大学名を告げると、「教育学部ですか?」と聞いてくる方もいます。(私は理学部ですが。)


茨城大学は元々「師範学校」(教師を養成する学校)や他の学校を統合した大学で教育学部が有名だったのかもしれません。そして、福島大学とは違って今も教育学部があるようです。

2023年11月20日

焦らない(高校2年生向け)

今年度も半年が過ぎ、後半に入りました。


高校2年生の今頃になると焦る生徒たちもいることでしょう。


高校2年生のこの時期に焦りが出てくるのは、夏休みに頑張って勉強したけれど思うような成果が出ていない、あるいは、夏休みにさぼってしまったが為に成績が振るわないと思われるケースです。
 
高校2年生にもなりますと模擬試験が少しずつ増えてくることでしょう。

 

7月か8月あたりに試験を受けた結果が良くなかった、という場合、このままで良いのだろうか、という焦りが出てくると思います。

そして模擬試験の成績を上げるにはどうしたらいいだろうか?と考えます。


すでに塾などに通っている生徒なら塾の先生に相談するのがいいでしょう。

私自身そういう生徒は何人か見てきました。

 

そして、そういう時の私の助言は、たいてい「まず今学校で習っていることをしっかりやりなさい。」と言うことです。

模擬試験対策や入試対策と言うのは、教科書の学習と切り離して考えるべきものではありません。

 

教科書に書いてある事とは別な何か、特別な何かをやれば大丈夫と考えてはいけません。


当たり前ですが、教科書の内容をよくよく理解もせずに入試で点数が取れるはずがないのです。

そういう対策をしたいと思っているのはつまり前に習ったところを復習したい、ということでしょう。


では、前に習ったことの復習と、今やっていることの学習とどちらを優先すべきか?


で、焦っている生徒というのは、前に習ったことをもう一度復習したい、と言うんですね。


今習っていることをしっかり理解できていて身に着いているのならば問題はありません。週末などの時間を利用して、前に習ったことを復習しましょう。

今習っていることをしっかり理解できていない生徒、ありていに言えば、定期テストで毎回点数が取れない生徒、に対しては、前に習ったことの復習などを今やっている場合じゃないでしょう?と言いたいです。

 

今習っていることを後回しにしたら、今習っていることをいつ身に着けるつもりなの?と聞きたいですね。

 

今やらなかった分は結局後でやることになるのだから、しかも後になればなる程どんどん忘れていくのだから大変です。

 

こういう生徒は、どうしても復習したいのなら長い休み(夏休み、冬休み、春休み)を利用して復習するしかないと思います。

 

つまり、次の復習の機会は冬休みです。

それまでは焦らずに辛抱です。今やるべきことをしっかりやりましょう。

さらに、進学校の数学で言えば、高校3年生の夏休みくらいには教科書3年分の内容が全部終わると思います。

それから入試対策をしても遅くないと思います。

かつて教えたある高校生(2年生の夏に入塾してきました)は定期テストで点数が取れていなかったので、教科書の内容を基本から教えていました。ある時、その生徒が1年生の復習をしたいと言い出しました。しかし、今はまだ1年生の復習をしている場合ではないと伝えました。そして上述した通りの話をしたのですが、残念ながら理解してもらえなかったようで、結局わずか数か月(冬休み前)で退塾してしまいました。

この生徒は進学校に通っている生徒でした。成績が上がらないと言うので、教科書の内容を基本から教え、自宅に帰ったらよく復習するようにと伝えました。

 

しかしあまり復習していなかったようで、次の授業の最初に前回の内容を確認しても教科書を見ないとできない状態でした。

 

本人はよく「まだ定着していないので。」と言っていましたが、何もしないで定着するはずがないのです。よくよく復習しなければいけません。

もっと言えば、この生徒は他にも難しい部分がありました。


例えば、授業の日と祝祭日が重なると、たいてい休みます。他の日への振り替えを提案しても、振り替えなくていいです、と断ってくる。


さらに定期テスト前になると、自分で勉強したいので、と言って授業を休む。

こういう生徒はたまにいます。

 

テスト前こそ塾に行って、テストに出そうな問題を先生に教われば良いのに、と思うのですが。

(大体の理由は見当がついています。この理由については機会があれば書きたいと思います。)

一体の何の為に塾に通っているのやら。

そういう学習の仕方をずっとやってきたから成績が上がらないんじゃないの?と思ってしまいました。

これを読んで下さって、自分にも思い当たる節があると思った方、または自分の子供がそうだ、と思った方に教訓にして頂ければ幸いです。

2023年10月01日

方程式

去年か一昨年だったと記憶してますが、ある方から電話をいただきまして、中学1年生のお子さんが学校で習っている方程式についての質問を受けました。

電話での話ということもあり、私はその方の質問しようとしていることが今一つ分かっていなかったのではないかと、後になって思いました。

後で思えば、その方の質問とは、「子供が学校で方程式を習っているが、なぜ方程式を作らねばならないのか意味を見い出せないようだ。どうしたらいいですか。」ということだったのではないかと思います。

この方のお子さんは、式を作らなくても文章を読んで見当をつけて答えを出せていたのかもしれませんね。


ここで一度小学生で習う問題を確認してみます。
 
〇+8=15 の時、〇に入る数は何ですか?というものです。

この問題は、足し算ができれば難なく解けます。8を足して15になる数は7しかありません。
または、引き算で考えて、15から8を引けば7と答えが出ます。

〇×4=8のようなかけ算の場合、
かけ算九九を使えば答えが出ます。この場合は「二四が八」で〇は2と分かります。
または割り算で考えて、8÷4をやれば答えが2と出ます。
ただし、ここで注意すべきは「かけ算の時は割ればいい」とだけ教えてはいけません。うっかりすると、4÷8とやってしまう可能性もあります。

ここまでなら〇をxとして方程式にして解く必要もないでしょう。

今度はもう少し複雑にします。
〇×3+2=14
こういう場合は〇×3を□に置き換えます。つまり、
□+2=14
として、まず□を求めます。□は12ですね。つまり、
□=12
そして、□を元に戻します。つまり、
〇×3=12 となるので
〇=4と分かります。

では、
(〇+2)×3=12はどうでしょうか。
この場合は〇+2を□に置き換えます。つまり
□×3=12
となるので、□=4と分かります。
そして□を元に戻します。つまり
〇+2=4となりますので、
〇=2と分かります。

さて、中学校では方程式の解き方を習います。

方程式を解く際には決まりがいくつかあります。


両辺をいれかえても等式が成り立つ。
両辺に同じ数を足したり、引いたり、かけたり、わったりしても等式が成り立つ。
というものです。


さらに「移項」というものも習います。

x+8=15は8を右辺に移項し
x=15―8
x=7
と解きます。
(何に8を足したら15になるだろうか?と考えずにやります。)
検算は最初の式にx=7を代入して確かめます。
つまり、7+8は確かに15になることを確認します。

2x=8は両辺を2で割って
2x÷2=8÷2
x=4
と解きます。
(2に何をかけたら8になるだろうか?と考えずにやります。)

または
2x=8の両辺に2分の1をかけてもいいです。

割るというのは逆数をかけるのと同じですから、特に係数が分数の場合は、私は両辺に係数の逆数をかける、と教えています。

方程式を作ることの利点は、式さえ作ってしまえば、後はどんなに複雑だろうとルールにのっとって機械的にやれば答えが出る、ということだと思います。

このルールを分かっていないと、
6x=3
の答えをx=2とやってしまったりするんですね。
どういうことかというと、6と3だけ見て、6÷3=2としてしまうんですね。
または6に何をかけたら3になるのかな?と悩んでしまう。
こういう生徒は要注意です。
教えている人は早めに気付いてあげましょう。


そして、答えを出すまでの過程をきちんと書かせましょう
6x=3
6x÷6=3÷6(数学が苦手な生徒にはこの行をきっちり書かせましょう。絶対に省略させてはいけません!(力説!))
x=1/2(2分の1)
(上で「÷6」は「×(6分の1)」でも正解ですよ。)
答えを出したら最初の式に代入させて検算させましょう。


連立方程式も同じで、(特に慣れないうちは)検算させましょう。
計算ミスの多い生徒には特に検算を徹底させましょう。

上の〇×3+2=14は
3x+2=14と式を作って
3x=14-2(+2を移項する)
3x=12
3x÷3=12÷3(両辺を同じ数3でわる)
x=4

とやれば□に置き換えて考える必要もありませんね。

文章問題の場合、値段や数の初歩的な問題では見当をつけることも可能です。

例えば、
「1個100円のりんごと1個80円のみかんを合計8個買ったら全部で740円でした。りんごとみかんはそれぞれ何個買いましたか。」
という問題です。
 
ここで式を作れない生徒はどうするかというと、考えられる個数を1つずつ当てはめていくんですね。


りんごが1個ならみかんは7個で合計は100円×1個+80円×7個で660円、
りんごが2個ならみかんは6個で合計は100円×2個+80円×6個で680円、
りんごが3個なら・・・
とやっていくとそのうち、問題に当てはまる答えが出ます。

りんごをx個として式を作ると、みかんは(8-x)個なので
100x+80(8-x)=740
となり、これを解けばx=5と求められます。
答えはりんご5個、みかん3個です。

しかし、問題が複雑になればなるほど、やはり方程式を作らないと解けなくなるでしょう。複雑な問題も式を作らずに解けたらその人は天才です。

さらには2年生になると連立方程式というのも習います。
これはもう式を作らないと難しいでしょう。

一部、当てはめてやる答えを出す方法もあるかもしれません。


例えば、
「十の位の数と一の位の数を足すと7になる2ケタの数があります。この数の十の位の数と一の位の数を入れ替えてできた数は元の数より27小さくなります。元の2ケタの数を求めなさい。」
という問題です。


足すと7になる数は1と6、2と5、3と4、
16なら十の位と一の位を入れかえて61、61-16=45だから問題に合わない。


25なら十の位と一の位を入れかえて52、52-25=27だから、これが答えだ!
答え25!とやったら間違いです。
元の数のほうが大きいのだから答えは52です。

連立方程式を作ると、
十の位の数をx、一の位の数をyとして
x+y=7
(10x+y)-(10y+x)=27
となります。

2023年09月01日

中学時代の勉強法:社会

今回は中学時代の社会の勉強法を書きたいと思います。


中学1年の時、毎回予習をやってくるように先生に言われました。


予習は教科書の内容をノートに自分なりにまとめて書かねばなりません。


毎回、ちゃんとやってきたかどうかチェックされます。
やって来ないと罰として額にその先生のハンコを押されます。いわば烙印(らくいん)です。(洗えばすぐに消えますが。)


ある時、いつものように先生はみんなの予習をチェックしていきました。
私はノートを見た先生に「なんだ、これしかやってないの?」と言われてしまいました。


ひょっとしたらその時は疲れていて、あまりたくさんできなかったのかもしれません。
またはノートの余白の都合でコンパクトにまとめすぎたのかもしれません。


先生に嫌味を言われ、(もっとやっておけば良かったな。)と素直に反省しました。


ところが、です。結局その日の授業は私が予習した範囲までしか進まなかったのです。
(ひょっとしたらもっと少なかったかも。)
自分の事を棚に上げる、とはこういうことを言うんですね。
私の嫌いなタイプです。


(俺に予習が少ないなどと言っておいて、先生だって少ししか授業進めていないじゃないか・・。)

とても悔しい気持ちになりました。
でもまた同じこと言われるのは嫌なので、次からは沢山予習しましたよ。

 

話が反れました。
2年と3年の時は別な先生になりました。厳しい先生でした。
予習をやって来ないと両方のほっぺをつねるのです。(通称ブルドッグと言います。)

中にはほっぺに青あざが出来てしまう人もいました。私も一度だけやられたことがあります。今では考えられない体罰です。

あまりにも痛いので毎回予習をしました。

やって来なかった友達に「ノートを見せて」と頼まれ見せてあげたこともあります。


ノートにまとめるというのは、意外と頭を使います。

ただ写すだけなら簡単ですが、見やすく分かりやすく、となると工夫が要ります。


並列の関係になっているものは箇条書きにすると見やすくなります。

例えば、文章では「○○○と△△△」となっているものを、
・○○○
・△△△
と書けば見やすくなりますし、並列の関係だと分かります。

因果関係になっているもの、順接や時系列順になっているもの、反対の意味や逆接のものなどは矢印で示します。

例えば、「○○○なので△△△」と書いてある場合は、
○○○⇒△△△


「○○○して△△△」は
○○○→△△△


○○○と△△△が反対の意味で使われている場合は○○○⇔△△△

と、自分でルールを決めて書けば見やすくなりますし、長々と文章を書く必要もなくなります。
これを読んでいる方の参考になれば幸いです。

そして、当然ですが、私のノートを写しただけの友達にはこれらの記号の意味なんて分からなかったはずです。

勉強というのは自分の頭を使わなければ身に付かない(自分のものにならない)のです。


と言っても、私の場合、予習だけでは成績につながりませんでした。

そこで、中学3年から復習にも力を入れました。それは、教科書をとことん読んで憶える方法です。


まず、1回目は読みながら大事だと思う所に赤線を引いていきます。
1ページ進んだら、次のページに進む前に今赤線を引いた所を、今度は必ず声に出して読みます。(もちろん内容を理解しながらです。)


完全に憶えたと言えるまで繰り返します。そして最後は教科書を閉じて憶えたことを声に出して言います。

もし言えなかったら、もう一度教科書を開いて確認します。


1ページちゃんと暗記できたら次のページに進みます。


おかげで3年で使う公民の教科書は赤線だらけになりました。


この方法を採用してから社会の成績は劇的に上がりました。(それまで5教科の中では社会が一番点数が取れませんでした。)


1年、2年の時は5割~良くても7割くらいだった定期テストの点数が3年の公民では8割~良い時は9割以上得点できるようになったのです。

2023年05月15日

高校時代の勉強法:英語

前回、中学時代の英語の勉強法を書きました。

では、高校時代にはどんなふうにやっていたかを書きたいと思います。

 

教科書の予習はそれまで通りやっていました。単語の意味を調べ、書いて読んで練習する、という部分も同じです。

 

最初の頃は中学時代と同じように本文をノートに写していましたが、これが実に大変でした。

なぜなら高校英語の教科書は文章が長い!からです。

書き写すだけで結構な時間がかかります。

 

ずっと後になってから、これはとても効率が悪いと気付き、やり方を変えました。

 

高校英語とはいえ、中には簡単な単語や文もあります。

例えば、「Are you ~~?」「Yes,I am.」などのような中学生でも分かるような文をいちいち書き写して、しかも日本語まで書くのは意味ないだろうと思ったのです。

 

比較的長くて意味の把握が難しい文や、予習の段階ではよく分からなった文だけをノートに書き写しました。

 

その際、教科書のどこを書いたか分かるように、ページと行を書いておきます。それも「○○ページ○行目」とは書きません。

 

少しでも時間を節約するために、p.37.l.5というように書いておきます。(pはページ、l は小文字のエルです。line(行)の略です。実際には数字の1と見間違えないように筆記体の小文字のエルを書きます。)

 

比較的長い文の場合、節や句などのまとまりが分かるように、かっこでくくっておきます。何が何を修飾しているのか分かりにくい場合はアンダーラインを引いて、修飾と被修飾の関係が分かるように矢印で示します。そして自然な日本語になるように注意しながら日本語を書きます。

 

1年生の時の教科書は2冊、同時並行でした。主に文章読解のような教科書と文法の教科書でした。

 

それ以外にも文法の参考書(シグマという名前の参考書で、今でも販売されています。)を渡され、時々テストがありました(通称シグマテストと言いました。)。

 

その参考書の内容は授業ではやりません。つまり完全に一人でやらなければなりませんでした。私はとてもそこまではこなしきれませんでした。

 

定期テストの前には教科書を復習し、単語を確認するなどして備えました。

 

時々、模擬試験がありました。本当はその復習もすべきでしょうがやることが多すぎて、やはりこなしきれませんでした。

2023年04月13日

中学時代の勉強法:英語

以前、「先生は中学時代にどんな勉強していたんですか?」と聞かれましたので、ここに憶えている限り書いてみようと思います。読んでくださる方の参考になれば幸いです。

 

英語の勉強法はシンプルです。

 

まず、予習をやります。ノートに教科書の本文を写します。そして新出単語を書き取り、意味は教科書の後ろのほうに載っているので調べます。一応本文の内容も日本語に訳してみます。

 

教科書の基本文は日本語訳とセットで丸暗記します。声に出して読んで憶えます。

 

英単語も声に出して読んで、そして何よりも書いて憶えます。

自分で頻繁にチェックして、「よし、憶えた!」と言えるまで繰り返し練習します。

 

あとは学校のワークなどをやります。

 

ここまで書いて何も特別なことをやっていないと思うのですが、いかがでしょうか?


特別な教材などは一切使っていませんし、学校以外で誰かに習った記憶もありません。

と思っていたら、当時大学生の兄に帰省中に少しだけ教わった記憶があります。

 

the otherとanotherの違いが分からなかったので、兄に教わりました。(定冠詞と不定冠詞の違いなど中学生の私にはあまり理解できませんでしたが。。)

 

単語の練習については、憶えるまで練習するのが基本です。

 

学校や塾の先生はなぜ単語の練習を宿題に出すのか?それは「練習して憶えて来なさい」ということです。憶えるのが目的だよ、ということです。

先生が「一つの単語につき、5回ずつ練習して来なさい」と言ったとします。

この場合、簡単な単語は3回でもいいかもしれませんが、後で先生にとがめられないために、一応5回はやっておきましょう。

その上で、自分にとっては難しくて覚えにくいと思える単語は10回、20回と練習すべきでしょう。

 

私が中学3年の夏休み、英単語の宿題が出されました。上に述べたように5回ずつ練習する、だったと思います。

 

夏休みが終わり、皆の宿題のノートが提出されました。先生がチェックする前か、した後かは忘れましたが、皆のノートが教卓の上に積まれていました。

 

教卓の周りで数人でおしゃべりしていたクラスメートの一人が、一番上にあった誰かのノートを(勝手に)何気なく開いて見たところ、単語がびっしりと練習してありました。

(その時、私は少し離れた所にいました。)

 

そこにいた人たちはみな驚いていました。

「これ誰のノート?」

開いたノートを閉じ、表紙の名前を確認しました。

 

 

それは私のノートでした。。

 

私は多くやる分には問題ないだろうと思い、特に難しい単語を憶えるために、これでもか、これでもか、というくらい沢山ノートに書いて練習し提出していたのでした。

 

私はこのころには、なにがなんでも行きたい高校に行くんだ、と覚悟を決めていたのです。

 

進学校を目指す中学生の皆さん、大学に行きたい学生の皆さん、教科書に載っている単語はできるだけ全部憶えるくらいの気持ちで練習しましょう。

2023年04月05日

オリエンテーションの思い出2

前回に続き、今回はオリエンテーションの思い出の中でも「嫌な」思い出を書きます。

 

保護者同伴だった1日目、既にクラス分けが決まり、自分の教室へと移動しました。

まだ3月ということもあり、担任は正式に決まっていません。

そこで、「仮担任」という形で割り当てられた先生達が対応します。

 

私のクラスに来た先生が名簿の確認を行いました。生徒たちの名前と出身中学を一人一人確認していきました。

 

そして、私の番に来た時、その先生は「安積一中じゃないの?」と聞いてきたのです。

私は「安積中学校です。」と答えました。すると先生は「安積一中でしょ?」と押してきました。

私「あ、はい・・・。」押しに負けて同意してしまいました(笑)。

 

ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、安積中学校は昭和の終わりごろ分離し、新しく安積第二中学校(安積二中)ができました。

だからと言って、それまでの安積中学校が「安積第一中学校」になったわけではありません。手間暇をかけて名前を変える理由など全くありませんからね。

 

そのクラスには他にも安積中学校出身者が2名ほどいたのですが、「安積一中です。」とみんな訂正させられました(笑)。

 

その先生は中学校が分離した事実は知っていたのだろうか。そして同時に名前も変わったと思っていたのか。

 

だいたい私をはじめ他の数人も「安積中学校」と自己申告したのだから、(安積一中ではなく、安積中学校なんだな)と思いもしなかったのでしょうか。

(途中で何かあったとしても、自分の出身校の名前を誰が間違えるかっ、て。)

 

きっとこの先生は、自分の考えはいつも正しい、自分が間違っていて生徒の方が正しいなんてことはない、と思っているのでしょう。

 

権威主義的な人なのかもしれません。見た目、雰囲気ともにすごく生真面目な感じがしました。

 

その日は保護者同伴でしたから、私の母をはじめ、他の保護者達も教室の後ろのほうに立っていたんですね。でも誰も先生の間違いを指摘しないという・・。(雰囲気に押されたのか・・・。)


 

4月になり、出来上がった新入生名簿にはしっかり「安積一中」と書いてありました。

他のクラスのを見ると、同じ学校出身の人たちはちゃんと「安積中」と書いてあるという・・。

 

この先生は4月には別の学校に転勤してしまったようで、確認することはなかったでしょう。でもそのうち他の学校で自分の間違いに気付いたかもしれません。

 

そしてこの先生、実はかつて私の兄の担任でした。母は「良い先生だったよ。」と言っていましたが、

私にとっては実に良い反面教師となりましたよ。

 

余談ですが、当時は「安積第二高校(安積二高)」という学校がありました。夜学の学校です。現在のあさか開成高校の場所にあったと記憶しています。

安積二高があるからと言って、安積高校を安積一高とはいいませんよね、先生。

2023年04月01日

オリエンテーションの思い出

高校入学が決まると、入学前にオリエンテーションがありますね。

学校によっても違うと思いますが、私の時は2日間行われました。

3月の下旬のことです。

 

1日目は保護者同伴だったと記憶しています。

内容は主に事務的なものだったのではないかと。

体育館で辞書を選んで買ったり、体育で使うジャージなどを購入した記憶があります。

その場で現金で支払うので保護者同伴の必要があったのでしょうか。

 

その日は教科書や辞書など重い荷物を持って帰ったはずです。


2日目は学習の進め方などの説明を受けました。

新入生が全員体育館に集められ、国語、数学、英語の先生から予習の仕方などについて説明を受けました。

 

そして「入学まであと2週間あるので、2週間分の予習をしておくように。」と言われました。これははっきり憶えています。

 

入学してすぐ新入生テストがあります。

驚いたのはそのテスト範囲です。

国語と英語は憶えていませんが、数学は既に高校の教科書の内容が20~30ページ分含まれていたのです。

 

私は次の日から毎日、高校の数学の教科書に向き合い、春休み中にテスト範囲の学習を終わらせたのでした。

 

新入生テストが終わり結果が出ると、思っていた以上に順位が良かったことに自分でも驚きました。

進学校は大変だと思いますが、がんばって学習した分の成果はきっとあるはずです。

 

春休み中にのんびりし過ぎてしまった生徒さんたち、遅すぎることはありません。4月から励みましょう。

2023年03月31日

人間万事塞翁が馬

じんかんばんじ、さいおうがうま、と読みます。

私の好きな言葉の一つです。

 

「人間」を「にんげん」ではなく、「じんかん」と読む場合は、世間、世の中、という意味です。

故事について興味のある方はぜひ調べてみて下さい。

 

世の中というのは、幸が不幸に、逆に不幸が幸につながることもある、という意味だと理解しています。

今回、なぜこの話を書いたかと言いますと、今の時期は入試、進学の時期であるからです。


先週、福島県立高校入試の発表がありました。合格した生徒もいれば、不合格だった生徒もいるはずです。


自分なりに努力したけれど、残念ながら不合格となり、不本意ながら希望とは違う別な学校に行くことになってしまった生徒さん、しかし、その学校で素晴らしい経験をすることになるかもしれません。


生涯の師に出会うかもしれません。

生涯の友に出会うかもしれません。

生涯のパートナーに出会うかもしれません。


だからめげずに生きてください。最善を期待して励みましょう。

 

逆に第一志望校に合格した生徒さん、おめでとうございます。

しかし、いつまでも浮かれていてはいけません。

高校入学後、早い段階で授業に付いて行けなくなる生徒を私は何人も見てきました。


特に進学校の生徒たち、高校は第一志望に入れたが、大学入試は妥協に妥協を重ねた結果の進学先、とならないように気を引き締めていきましょう。3年間はあっという間です。


私が高校1年生の時、入学した直後、クラスメートの1人が学校に来なくなってしまいました。

(理由は分かりませんが、その人がクラスメートと話している姿を見たことがなく、ひょっとしたら学校になじめなかったのかもしれません。)

 

せっかく第一志望の学校に入ったのに、担任が嫌な先生だったり、クラスや部活の人間関係で悩んだり、学業が思い通りにいかなかったりして、退学とはいかないまでもつらい学校生活を送ることもあるかもしれません。

 

しかし、それらもいずれは幸運へつながることもあるかもしれません。


塞翁が馬の故事では、不幸から幸へとつながって終わり、ではなく、逆に幸から不幸へつながって終わり、でもなく、幸と不幸を繰り返していきます。

2023年03月22日

卒業式の思い出

3月は卒業の季節ですね。

というわけで、自分の卒業式の思い出を書きたいと思います。


まずは幼稚園の卒業式、というか卒園式・・・・・は全然覚えていません。

 

母の話によると、周りの保護者の中には感極まって泣いている人が多くいたようです。

 

子供は小さいうちほど手がかかるでしょうから、よくぞここまで成長してくれたな、と言う思いなのかもしれませんね。

 

小学校の卒業式は一番思い出に残っています。

6年間も過ごした学校ですから、やはり寂しい気持ちがありました。

練習を何度もやりましたが、本番は練習と比べ物にならないくらいの緊張感がありました。

卒業証書授与は一人一人名前が呼ばれ、登壇して受け取るという形でしたので尚更です。

 

そして終盤、「仰げば尊し」の斉唱では感極まり、泣き出す生徒達がいました。私も泣きそうになりました。

 

中学校の卒業式ではあまり感動しませんでした。

 

小学校に比べ、中学校は自由が少なく、先生たちは口うるさい、と思っていましたので、こんな所早く(さっさと)卒業したい、という気持ちが強く、やっと卒業できるよ、とむしろ清々したものです。

 

しかし、式の後、教室に戻り、担任の先生の最後の話を聞きながら泣きそうになりました。

若い男性の先生でしたが、私たちのクラスが初めての担任だった、皆の写真を胸のポケットに入れておく、という言葉を聞いた時に急に何かこみ上げ来たのです。

(この先生は若く歳が近いことと、また、あまり口うるさくなかったので、私は親しみを感じていたのでした。)

 

次に、高校の自分の卒業式の話を書く前に、自分が2年生の時、在校生つまり見送る側で出席した時の話を書きたいと思います。

 

一般的に、式の中で卒業生代表の言葉というのがありますね。文字通り、卒業生の代表が登壇し、色々と述べるものです。

この時の卒業生代表の方は、ごく一般的にやるように登壇すると白い紙を取り出し、原稿を読み始めました。

 

最初は入学した当時の思い出が述べられます。「3年前、桜の花の咲くころ・・・」といった感じです。そして、入学後に新入生を待ち構えている伝統的な行事、対面式や応援歌練習などについての思い出も述べていきます。

 

さらに様々な学校行事についても次々と順を追って述べられていきます。単にこういう行事がありました、と言うだけでなく、感想付きです。

 

(・・え?まさかこの人、この調子で3年分の思い出を延々としゃべるつもりか?・・・)

失礼ながら、私は眠気に襲われそのまま目を閉じ眠ってしまいました。

(知り合いでも何でもない人の思い出話など、退屈でしかありませんでした。)

 

・・・どのくらい眠ったか憶えていませんがふと目が覚めました。壇上を見ると、卒業生代表がまだ言葉を述べています。

内容はというと、2年生の修学旅行(秋)の思い出です。

(まだ半分か・・・)

私は再び眠りに落ちました・・・。

 

3年生になり、今度は自分が見送られる番になりましたが、小学校、中学校と比べ、段々緊張感も感動もなくなっていきました。

(中学校と同様、早く卒業したいという気持ちのほうが強かったのです。)

そして、式の途中、またしても眠くなり眠ってしまいました。(毎日の受験勉強で疲れていたに違いない、と言い訳しておきます。第2志望の大学の受験がまだ残っていました。)

 

ウトウトしている時、

「・・生、起立!」という声が聞こえました。私はビクッとして危うく立ち上がりそうになりました。周りからはクスクスと笑う声が聞こえてきます。

(危なかった・・・)

「在校生、起立!」のかけ声で、「卒業生」の自分が起立するところでした・・・。

 

大学の卒業式は思い出がありません。

なぜなら出席しなかったからです。

正確には、「出席できなかった」のです。

 

卒業後はある会社に入社することが決まっていましたが、その会社は3月の下旬に入社式があり、卒業式の日(平日)には既に仕事が始まっていたのです。

 

事務方の上長に、卒業式に出たいので休ませて欲しいと願い出ましたが、「欠勤になるよ」と冷たくあしらわれてしまいました。

 

「別に欠勤で構いません。」と言いたいところでしたが、入社早々周りとぶつかりたくないので卒業式は諦めたのでした。

(お世話になった先生や、クラスメートと最後に会って挨拶したかったのですが・・・)

 

卒業証書は大学に連絡し、宅配便で送ってもらいました。

 

以下、余談ではありますが、この会社とは最初から反りが合いませんでした。(学習塾ではありません。)


仕事で他の会社の人と会う都合上、名刺を作ってくれと言っても、「試用期間中だから名刺は作ってやれない」と言われたり(じゃあ本採用するつもりないのか?)、直属の上司には「残業は君が好きで勝手にやってることだから」と言われ(やらざるを得ないからやってるんですけど)、結果、残業(サービス残業含め)が月80時間近くまで増えたり(今でいう過労死ラインですね)。

 

そしてついに耐えきれなくなり、私は半年でこの会社の「卒業」を強行したのでした。

2023年03月01日

気になる言葉

昔は聞かなかったけれど、最近聞くようになった言葉でいくつか気になる言葉があります。

今回はその内の一つについて書こうと思います。

 

それは「普通に○○」という言葉です。

 

一番最初に聞いたのは、数年ほど前の新聞か何かの投稿でした。

 

投稿主はある時、知り合いの若い人に手料理をご馳走したそうです。

そして感想を聞いたところ、その人は「普通においしいです」と答えたそうです。

投稿主は、喜んでいいのかどうか複雑な思いをした。と、そんな趣旨の内容でした。


「普通においしい」というのは美味しいには違いないけれど、ものすごく美味しいわけでない、ということでしょうか。。

 

だとしたら言われた方は複雑な気持になるでしょうね。。

 

単に「おいしいです」とだけ言ってくれれば良いものを・・、わざわざ「普通に」と付け加えることで、「ものすごく美味しいわけではないですよ」と伝えているようなものでしょうに。

 

そして、最近になってこれと同じ言葉をテレビで聞いてしまいました。

ある地方テレビ局のリポーターが、取材先の商品を味見させてもらった、その時の言葉、

「うん、普通においしい」と。。

 

言われたほうの人の表情はマスクと眼鏡で読み取ることができませんでしたが、どんな思いをしたでしょうか。

 

いや、ひょっとしたら「普通に」というのは程度の問題ではなくて、「当然のように」と言う意味だったのではないか?と思ったりもしましたが、言った人に真意を聞いてみたいものです。

 

言葉は慎重に選びましょう。

 

特に、新しい言葉、あまり一般的でない言葉は誤解される可能性があります。

2023年02月22日

かけ算と累乗の話

以前勤めていた塾で他の講師から聞かれたことがあります。

「0乗をどうやって生徒に説明しますか?」と。

 

中学生に対して、単に「0乗は1だよ」と教えると、必ず「え?0乗は0じゃないんですか?」と言う生徒が出てきます。

 

累乗というのは、例えば、2の3乗とは2×2×2のことですが、私は生徒に教えるときに「2を3回かける」と教えています。

 

それならば、2の0乗は2を「0回かける」、つまり「何もかけない」のだから0になるのでは?と考えてもおかしくありません。

 

ですが、本来かけ算には「かける数」と「かけられる数」があります。(一つだけではかけ算になりませんので。)

 

小学校で習った記憶があるのですが、2×3(2かける3)の場合、2に3をかける、つまり、かける数が3で、かけ「られる」数が2です。(逆ではありません。)

 

では、少し前に戻って2の3乗、2×2×2を考えてみましょう。

 

これは、かけられる数2に2を「2回」かけている、と言えますね。「3乗」なのに、かけているのは「2回」と言えます。

 

もっと一般的に言って、2のn乗は2に2を(n-1)回かける、と言えます。ややこしいですね。

 

そうすると、「2を3回かける」という言い方は間違っているのでしょうか。

 

いいえ、そうではありません。厳密には「1に2を3回かける」と言えば問題ありません。

つまり1×2×2×2となります。計算結果は同じです。

一般的に言うと、2のn乗は1に2をn回かける、となります。

 

0乗の話しに戻ります。

2の0乗は「1に2を0回かける」、つまり「1に何もかけない」、だから答えは1となります。

実際この理屈はややこしいので、私は中学生には0乗を教えないようにしています。

 

高校数学の「指数」ではこんな教え方はしません。

 

指数法則と組み合わせて0乗が何かを導きます。

2022年10月31日

昔習った歌その2

今回は日本人なら誰でも知っている歌、君が代についてです。

私が学生のころは、いや、今でもそうだと思いますが、卒業式には必ず「君が代」を歌わされました。

 

しかし、小学生の時の卒業式の練習は単に「歌わされる」というレベルではありませんでした。

音楽の先生が厳しかったのか、何度も何度も繰り返し練習させられたのです。特に「ブレス(息継ぎ)」の場所を間違えると注意されました。

 

たかがブレスくらいで、先生たちはよほど厳かな式にしたかったのだろうか、と、これを書きながら思ったのですが、「仰げば尊し」や「蛍の光」ではそんな注意はされなかったんですね。。

 

君が代だけは別格なのか。。

 

ちなみにまだこの頃は君が代は「国歌」として法律で規定されていませんでした。

インターネットで調べたところ、「国旗及び国歌に関する法律」は1999年に公布、施行されています。


そして当時、歌詞の意味は全く考えずに歌っていました。

大人になってからもよく分からなかったのは「さざれ石のいわおとなりて」の意味です。


「さざれ石」は小さい石、「いわお」は大きい石だと思ったので、小さい石が大きい石となって、さらにその石に「こけのむすまで」つまり、苔が生えるまで長い時間、という意味と理解していました。

しかし、小さい石が長い時間かければ勝手に成長して大きい石になるのだろうか・・・、という疑問がありました。

逆に、風化して大きい石が小さい石になるのなら分かりますが。

 

と思っていたら、ある時テレビで見たのです。君が代発祥の地と言われている神社で、さざれ石がいわおとなったものを・・・。

それは私の想像とは別の物でした。

一つの小さい石が成長して大きい石になった物ではなく、小さい石がたくさん集まってくっついて大きい石になった物でした。

 

ところで、君が代発祥の地と言われている神社は全国に複数あるようです。

興味のある方はぜひ調べてみてください。

2022年10月31日
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