気になる言葉2
最近あるドラマを見ていましたら、登場人物の一人が「私には負ける自信がある」というようなことを言っていました。
この言葉を聞いて、私は違和感を覚えるとともに、昔教えていた生徒を思い出しました。
その生徒は当時1期選抜という制度で少し早めに高校に合格が決まりましたが、その後も中学校を卒業する3月までは塾に来ていました。
そして、高校生になっても通いたい、と言ってくれました。
生徒「高校の授業についていけない自信がある」(だから高校生になっても塾に来たい)
私「・・・それはつまり、高校の授業についていく自信がないってこと?」
生徒「そうとも言う」(笑)
私(笑)
当時、この生徒は面白い表現をするなぁ、と思ったものです。
でもまあ、中学生の言うことですし、塾の先生相手ですから面白半分に言ったのでしょう。
それから約20年近くが経ち、冒頭のドラマでの台詞を聞きました。
このドラマとは、2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」です。
江戸幕府2代将軍徳川秀忠が、豊臣秀吉の息子である豊臣秀頼と自分を比較し、自分は秀頼に「負ける自信がある」と、涙ながらに父、徳川家康に訴えるシーンです。
(「勝つ自信がない」ではなく、「負ける自信がある」です。)
私の違和感は、できないことを自信を持って真剣に言う人がいるのだろうか、という点にあります。
私の生徒は中学生でしたし、笑いながら言っていましたが、徳川秀忠は大人、しかも妻子もある将軍ですからね。
私が家康なら、「そんなことを堂々と言うなよ・・・」と言いたくなります。それか、「おい、今の表現おかしいだろ!」と突っ込みたくなりますよ。
ここまで書いていたら、違和感を通り越して、滑稽さを感じるようになってきました。
(去年の大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」はコメディ要素満載でしたが。)
しかも、江戸時代です。この時代にこのような言葉遣いをする人がいたのだろうか、とも思います。
いや、ひょっとしたらいたかもしれませんが。。
そもそも自信があるというのは、できるからこそ自信があるのに、できないことに対して「自信がある」とは言わないでしょう。
若者にも見て欲しくて、あるいは共感して欲しくて、敢えて砕けた表現を使っているのかもしれませんが、やはり歴史ドラマはあまり現代風にして欲しくないな、というのが私の個人的な感想です。
ここから余談です。
上述の生徒は「高校生になってからも通いたい」と言ってくれましたが、保護者が許可してくれなかったようでして、「塾代は自分でバイトして稼ぐ」とまで言っていました。
それで、結局どうなったのかと言いますと、私はその3月にその塾を退職したので分かりません。
色々思い出すことがあったので、さらに余談を続けます。
この時と同じ年、別な生徒も「高校生になってからも通いたい」と言ってくれました。ただし、「鈴木先生が教えてくれるなら」という条件付きでした。
この生徒は元々私が担当する生徒ではなかったのですが、時々、他の講師の代理で教えたり、テスト前の追加の授業だけ教えたりしていました。
元々の担当の講師は高校生を教えられる人ではなかったので、私を選んでくれたのだと思いますが、それでも他の講師ではなく自分を指名してもらえるのは嬉しい限りです。
「バイト代で塾に通う」ということで思い出したことがあります。
数年前に教えた高校生は、ある県内の大学に合格したのですが、大学1年の夏休み前に、大学で習っている数学を教えてほしいということで数回の授業をしたことがあります。
その時、その生徒は大学生になってからアルバイトをしたお金で私に授業料を払ったようです。
保護者様は子供に「いいの?」と聞いていましたが、本人は「うん、大丈夫」と言って払っていました。
良いことじゃないですか。
自ら汗水垂らして稼いだお金で人に何かを習う。
だからこそ少しでも無駄にはでず、真剣に習う気持ちになるというものです。
(その生徒はいつも真面目でしたが。)