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個数を最初に覚える学習方法

つい先日、あるバラエティー番組を見ていましたら、その回は高学歴の芸能人、タレントが4人出演していました。


その人たちは自分の学生時代の勉強方法を時折語っていたのですが、その中の一人の勉強方法が印象的だった、というか自分もそういうところあるよなぁと思ったのでここに書きたいと思います。


それは、暗記をする時にまず、暗記すべきものが「いくつあるかを最初に覚える」という方法です。


例えば、中学数学2年の図形の中に「平行四辺形になるための条件」というものがあります。

 

これは全部で「5つ」あります。

 

条件を覚える前にまず、「5つある」ということを頭に入れておきます。

 

その後で条件を覚えていきます。

 

そうすれば、思い出そうとした時に4つしか出てこなかったらまだ1つ覚えきれていないということが分かります。

 

全部覚えたつもりでも答えを確認したら「あれ?もう一つあった・・・。」となったらまだまだ甘いということです。


逆に5つ出てきたら、内容が合っているかどうかは別として、それ以上はもうないと分かります(もう一つあったかな?と悩む必要がなくなります)。


三角形の合同条件と相似条件は3つですが、直角三角形の合同条件は2つです。

 

こういう違いに気が付けば少しはやりやすくなるかもしれませんね。

2024年04月26日

計算の工夫その2

足し算の工夫です。


あるクイズ番組を見ていましたら「画面に表示された数字を全て足しなさい」という問題が出ました(制限時間付きだったと記憶しています)。

 

数字が6個くらい書いてありましたが、横1列に並んでいるわけではなく、中には斜めになっていたり逆さまになっている数字もありました。

 

横1列で書くと、2、4,8、1、2、6、のような感じです。


この6つの数字を前から足していくと、2+4=6,6+8=l4・・・となりますが、工夫して計算すると、(2+8)+(4+6)+(1+2)=10+10+3=23となります。


つまり、足して10になるものを先に探していくと早くできます。


実際には紙に書かずに頭の中で2と8で10,4と6で10、ここまでで20、残った1と2を足して23と暗算します。

2024年04月24日

計算の工夫その1

私が子供の頃、親に×4の暗算方法を教わりました。


それはまず2倍して、さらに2倍すれば4倍になるという方法です。


例えば15×4の場合、まず15を2倍して30、さらに30を2倍して60となります。これなら筆算せずに済みます。

(15×2を暗算でできない人は筆算してください。)


逆に÷4も同様にできます。


1000÷4の場合、まず1000を2で割って500,さらに500を2で割って250となります。

次に中学校で習う累乗の計算についてです。

 

3の4乗は3×3×3×3のことですが、前から順番にやっていくと3×3=9、9×3=27,27×3=81となります。

 

私の生徒たちを見ても、このように前からやっていく生徒は何度も見てきました。


工夫してやると、(3×3)×(3×3)=9×9=81となります。これなら、かけ算九九だけでできますね。これを教えると大抵の生徒は「おぉ!」となります(笑)。


さらに、かけ算の工夫です。


例えば、2×3×4×5は(2×3)×(4×5)=6×20=120とやるか、(2×5)×(3×4)=10×12=120とやれば早くできるでしょう。

2024年04月22日

英語と名前と発音の話

かつて中学1年生のはじめ、英語の授業で名前の言い方を習いました。

当時はJun Suzuki のように姓を後で言うのが当たり前でした。

 

英語の授業中、誰かが「なんで日本語の順番じゃダメなの?」と聞いた時、英語の先生は「英語を使う国ではそうなっているのだからそれに合わせるのが当然でしょ」と力説していた記憶があります。

私は後になってから、「じゃあ、アメリカ人が日本に来て日本語で自己紹介する時は、日本語に合わせて姓を先に言うのかな?」と疑問に思ったものです。

例えば、当時人気だったハリウッドの俳優が映画の宣伝で日本に来て日本語であいさつをする時、
「日本のみなさん、こんにちは。シュワルツェネッガー アーノルドです。」と言うのだろうか?と疑問に思ったのです。

おそらく言わないでしょうし、日本の新聞や雑誌でアメリカ人の名前を載せる時も日本語の姓名の順番になっているのを見たことがありません。

そもそも私はSuzuki Jun であって、Jun Suzuki ではない。それが日本人の名前、固有名詞なのだから変える必要はない、とも思っていました。

別な機会に、日本人の姓と名を区別するために姓は全て大文字で書く、という方法があることを知りました。

つまり、順番は関係なしにSUZUKI Jun と書けば、SUZUKIが姓であると分かるということです。

現在の教科書では順番はどちらでもいい、ということが書いてあります。

そして外国人の名前の表記と言えば、もう一つ前々から気になっていることがあります。


それはvの発音の表記です。日本人にはbとvの発音の違いは難しいです。
そこで、名前にvが入っている外国人のカタカナ表記をヴに統一したほうがいいのではないかと思うのです。


例えば、テニスのジョコヴィッチ選手をジョコビッチと表記している場合があります。
また、映画バイオハザードで有名な俳優ミラ ジョボビッチと書いてあるものもありますが、ジョヴォヴィッチと表記し、できるだけ元の発音に近い音で発音した方がいいと思うのです。
(「ビッチ」では「bitch」 に聞こえてしまい、あまりにも失礼ではないかと思うのです・・・。)

だいぶ前のことです。

テレビで映画バイオハザードが放送されまして、その時、新作の宣伝か何かで本人が映像で登場しコメントしたのですが、その時の最後の部分の発音が私には「ウィッチ」に聞こえました。

(wikiによると、「ヨヴォヴィッチ」が出生地ウクライナの発音に近いらしいです。)

名前に限らず、外来語として使われている言葉、volume(音量、分量)は「ボリューム」ではなく「ヴォリューム」、色のnavyは「ネイビー」ではなく「ネイヴィ」と書くようにすればbとvの違いを意識するようになるのではないでしょうか。

rとlの表記も何とかならないものかとは思います。


レッド(red、赤)、ブラック(black、黒)はカタカナで書くとどちらもラ行ですが、rとlは発音が違います。

 

リラックス(relax)は r と l が両方入っています。

今まで何度か聞いた話ですが、米飯を表す「ライス(rice)」は日本人が発音するとlice(シラミ)に聞こえるそうです。


「れッド」「らイス」「りラックス」とあえて r の発音をひらがなで書くという方法もあるかもしれません。

名前の話から離れてしまいましたが、もう一つ前々から気になっていることがあります。


she (彼女は)とsea(海)は発音が違いますが、カタカナで書いてしまうとどちらも「シー」になってしまいます。

 

sheは「静かにして」と言う時、上に向けた人差し指を口の前に置くジェスチャー付きで「し~」と言う時の発音ですね。

seaはどちらかというと「スィー」と書く方が近いと思いますがどうでしょうか。


とは言え、「ディズニーシー」を「ディズニースィー」と書いたらちょっと間が抜けた感じがしないでもないですね・・・。(「シー」と書いたほうがクールな感じがしないでもない。)


そしてさらに、city(都市)を「シティー」と発音するのはいかがなものかと。

 

最初の部分はseaの「スィ」と同じです。でないと、「shitty」になってしまいます。

 

Kooriyama city(郡山市)が Kooriyama 「shitty」になってはいけません。

英語を学んだ若い人たちが外国で恥をかかないように願うばかりです。

2024年04月03日

いじめにあった話その1

私は生涯で2度いじめに遭いました。

この事は家族や当時の先生やクラスメート以外は誰も知りません。

いじめから解放された後に出会った人たちには一切話したことがありません。


今回ここでこの話を書こうと思ったのは、今年で50歳になり、過去を振り返る機会も多くなり、もうずいぶん昔の話ですしもう誰かに話してもいいかと思ったからです。

また、いじめの話を聞くたびに心が痛み、特に子供を持つ親御さんたちには子供の異変を見逃してほしくないという思いもあります。

一度目は幼稚園の時です。


同じクラスに体の大きないじめっ子(男子)がいました。

私の何が気に入らなかったのかよく分かりませんが、私は子供のころから周りの子供よりも体が小さかったので、いじめやすかったのかもしれません。


私は幼稚園に行くのが嫌でした。


ある日、どうしても行きたくなくて、コタツの中に隠れました。


家じゅう大騒ぎになりました。

 

外からは、父や母が私を捜し、呼ぶ声が聞こえてきます。


そのうち見つかってしまいましたが、その直後どうなったのかは憶えていません。


おそらくその日ではないと思うのですが、私の記憶では、幼稚園の送迎用の車(バスではなく普通の乗用車でした。)に乗せられて、車の中から自分の家が次第に遠ざかっていく風景を寂しい気持ちで見ていたのを今でも憶えています。


いじめから解放されたのは父の転勤にともない、郡山への引っ越しが決まったからです。


最後の登園の日、クラスの皆一人ひとりとお別れの握手をしましたが、そのいじめっ子はわざと強く私の手を握ったのを憶えています。

郡山に来て、別な幼稚園に通いましたが、そこではいじめはありませんでした。


むしろ転校生の私はクラスの皆から珍しがられ、人気者となりました。


何かの催し物でクラスの代表を選ぶ時には、よく私が選ばれました。


ある時、先生が「いつもじゅん君ばかりだから、今回は別な人を選ぼうね」と言ったのを憶えています。

クラスに仲のいい友達ができ、休み時間に一緒にサッカーボールでよく遊びました。

 

その友達とは小学校が別だったので卒園とともに会うことはなくなってしまいました。

(いつかその2を書きます。)

2024年03月20日

気になる言葉2

最近あるドラマを見ていましたら、登場人物の一人が「私には負ける自信がある」というようなことを言っていました。

この言葉を聞いて、私は違和感を覚えるとともに、昔教えていた生徒を思い出しました。


その生徒は当時1期選抜という制度で少し早めに高校に合格が決まりましたが、その後も中学校を卒業する3月までは塾に来ていました。


そして、高校生になっても通いたい、と言ってくれました。


生徒「高校の授業についていけない自信がある」(だから高校生になっても塾に来たい)


私「・・・それはつまり、高校の授業についていく自信がないってこと?」


生徒「そうとも言う」(笑)


私(笑)

当時、この生徒は面白い表現をするなぁ、と思ったものです。


でもまあ、中学生の言うことですし、塾の先生相手ですから面白半分に言ったのでしょう。

それから約20年近くが経ち、冒頭のドラマでの台詞を聞きました。


このドラマとは、2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」です。


江戸幕府2代将軍徳川秀忠が、豊臣秀吉の息子である豊臣秀頼と自分を比較し、自分は秀頼に「負ける自信がある」と、涙ながらに父、徳川家康に訴えるシーンです。
(「勝つ自信がない」ではなく、「負ける自信がある」です。)

私の違和感は、できないことを自信を持って真剣に言う人がいるのだろうか、という点にあります。

 

私の生徒は中学生でしたし、笑いながら言っていましたが、徳川秀忠は大人、しかも妻子もある将軍ですからね。

 

私が家康なら、「そんなことを堂々と言うなよ・・・」と言いたくなります。それか、「おい、今の表現おかしいだろ!」と突っ込みたくなりますよ。

 

ここまで書いていたら、違和感を通り越して、滑稽さを感じるようになってきました。

(去年の大河ドラマ「鎌倉殿の十三人」はコメディ要素満載でしたが。)

しかも、江戸時代です。この時代にこのような言葉遣いをする人がいたのだろうか、とも思います。

 

いや、ひょっとしたらいたかもしれませんが。。

そもそも自信があるというのは、できるからこそ自信があるのに、できないことに対して「自信がある」とは言わないでしょう。

若者にも見て欲しくて、あるいは共感して欲しくて、敢えて砕けた表現を使っているのかもしれませんが、やはり歴史ドラマはあまり現代風にして欲しくないな、というのが私の個人的な感想です。

ここから余談です。


上述の生徒は「高校生になってからも通いたい」と言ってくれましたが、保護者が許可してくれなかったようでして、「塾代は自分でバイトして稼ぐ」とまで言っていました。


それで、結局どうなったのかと言いますと、私はその3月にその塾を退職したので分かりません。

色々思い出すことがあったので、さらに余談を続けます。


この時と同じ年、別な生徒も「高校生になってからも通いたい」と言ってくれました。ただし、「鈴木先生が教えてくれるなら」という条件付きでした。

 

この生徒は元々私が担当する生徒ではなかったのですが、時々、他の講師の代理で教えたり、テスト前の追加の授業だけ教えたりしていました。

 

元々の担当の講師は高校生を教えられる人ではなかったので、私を選んでくれたのだと思いますが、それでも他の講師ではなく自分を指名してもらえるのは嬉しい限りです。

「バイト代で塾に通う」ということで思い出したことがあります。


数年前に教えた高校生は、ある県内の大学に合格したのですが、大学1年の夏休み前に、大学で習っている数学を教えてほしいということで数回の授業をしたことがあります。


その時、その生徒は大学生になってからアルバイトをしたお金で私に授業料を払ったようです。


保護者様は子供に「いいの?」と聞いていましたが、本人は「うん、大丈夫」と言って払っていました。


良いことじゃないですか。


自ら汗水垂らして稼いだお金で人に何かを習う。


だからこそ少しでも無駄にはでず、真剣に習う気持ちになるというものです。
(その生徒はいつも真面目でしたが。)

2023年12月10日

テスト前に塾を休む生徒

少し前のブログで、テスト前に塾を休む生徒(高校生)の話を書きました。


中学校でもワークの提出などはありますが、進学校になると提出物の量も多いです。


そして、大抵は定期テスト直後に提出期限があります。


つまり、ワークなどの問題集のテスト範囲の部分を全てやって、テストが終わったら提出というパターンです。

今まで教えた生徒でテスト前に塾を休む生徒というのは、「自分で勉強したいから」と言うのですが、おそらくは提出物を終わらせるためだと私は考えています。


提出範囲はテスト範囲と同じなのだから、それはそれで復習になっていいのでは?と思うかもしれませんね。


しかし、テストで点数を取るためには、点数を取るための勉強をしなければいけません。いくら試験範囲に入っているとは言え、これは定期テストではまず出ないだろうという問題もあります。逆にこれは確実にできるようにしておかねばならない、と言う問題も多々あります。


そこを知らずに、闇雲に勉強すればいいというものではありません。そのために塾に来ているのだから、テスト前に先生に出題されやすいところを教われば良いのに、とつくづく思います。


そのためには提出物は早めにやっておくのが肝心で、テスト前は出やすい問題を集中的に復習するのが良いでしょう。

2023年11月30日

母校の大学

だいぶ前ですが、問い合わせの電話を頂いた時に、「先生の出身大学はどちらですか?」と聞かれました。


「茨城大学です。」と答えましたが、「茨城県にある大学ですか?」と聞き返されました。


私はちょっと不思議に思いながら「そうです。」と答えましたが、相手の方は「茨城のなんと言う大学ですか?」とまた聞き返してきました。


私はまた「茨城大学です。」と答えました。
相手の方「そうですか・・・。」


この時点で私は、この方は茨城県に「茨城大学」という名前の大学があるということを、たぶん分かっていないんだろうな、と確信しましたが、別な話に移ってしまったので私もこれ以上言うのをやめました。

福島県福島市に「福島大学」があり、山形県山形市に「山形大学」があるように、各県庁所在地には国立大学があります。

 

(全都道府県庁所在地にあるかどうかは知りませんが、おそらくあると思います。茨城大学は水戸市にあります。そしてこれが「駅弁大学」などと揶揄される所以です。)

さりながら、茨城県にある国立大学と言えば、おそらくは筑波大学のほうが有名なのでしょう。


私が在学中、筑波大学ではノーベル物理学賞を受賞した江崎玲於奈博士が学長でした。我が茨城大学の学長は「お隣みたいな立派な学長とは違うよ。」と自虐ネタにして笑いを取っていたのを思い出します。

(失礼ながら好々爺と言った感じの学長でした。)

 

ありていに言えば、地味で目立たない大学です。
(私の生徒の中には、都会の大学に行きたい、という生徒もいましたが、私は全く逆で都会に行きたいとか生活したいとか思ったことがありませんでした。)

しかし、茨城大学の名前をちゃんと知っている方もいまして、私が出身大学名を告げると、「教育学部ですか?」と聞いてくる方もいます。(私は理学部ですが。)


茨城大学は元々「師範学校」(教師を養成する学校)や他の学校を統合した大学で教育学部が有名だったのかもしれません。そして、福島大学とは違って今も教育学部があるようです。

2023年11月20日

焦らない(高校2年生向け)

今年度も半年が過ぎ、後半に入りました。


高校2年生の今頃になると焦る生徒たちもいることでしょう。


高校2年生のこの時期に焦りが出てくるのは、夏休みに頑張って勉強したけれど思うような成果が出ていない、あるいは、夏休みにさぼってしまったが為に成績が振るわないと思われるケースです。
 
高校2年生にもなりますと模擬試験が少しずつ増えてくることでしょう。

 

7月か8月あたりに試験を受けた結果が良くなかった、という場合、このままで良いのだろうか、という焦りが出てくると思います。

そして模擬試験の成績を上げるにはどうしたらいいだろうか?と考えます。


すでに塾などに通っている生徒なら塾の先生に相談するのがいいでしょう。

私自身そういう生徒は何人か見てきました。

 

そして、そういう時の私の助言は、たいてい「まず今学校で習っていることをしっかりやりなさい。」と言うことです。

模擬試験対策や入試対策と言うのは、教科書の学習と切り離して考えるべきものではありません。

 

教科書に書いてある事とは別な何か、特別な何かをやれば大丈夫と考えてはいけません。


当たり前ですが、教科書の内容をよくよく理解もせずに入試で点数が取れるはずがないのです。

そういう対策をしたいと思っているのはつまり前に習ったところを復習したい、ということでしょう。


では、前に習ったことの復習と、今やっていることの学習とどちらを優先すべきか?


で、焦っている生徒というのは、前に習ったことをもう一度復習したい、と言うんですね。


今習っていることをしっかり理解できていて身に着いているのならば問題はありません。週末などの時間を利用して、前に習ったことを復習しましょう。

今習っていることをしっかり理解できていない生徒、ありていに言えば、定期テストで毎回点数が取れない生徒、に対しては、前に習ったことの復習などを今やっている場合じゃないでしょう?と言いたいです。

 

今習っていることを後回しにしたら、今習っていることをいつ身に着けるつもりなの?と聞きたいですね。

 

今やらなかった分は結局後でやることになるのだから、しかも後になればなる程どんどん忘れていくのだから大変です。

 

こういう生徒は、どうしても復習したいのなら長い休み(夏休み、冬休み、春休み)を利用して復習するしかないと思います。

 

つまり、次の復習の機会は冬休みです。

それまでは焦らずに辛抱です。今やるべきことをしっかりやりましょう。

さらに、進学校の数学で言えば、高校3年生の夏休みくらいには教科書3年分の内容が全部終わると思います。

それから入試対策をしても遅くないと思います。

かつて教えたある高校生(2年生の夏に入塾してきました)は定期テストで点数が取れていなかったので、教科書の内容を基本から教えていました。ある時、その生徒が1年生の復習をしたいと言い出しました。しかし、今はまだ1年生の復習をしている場合ではないと伝えました。そして上述した通りの話をしたのですが、残念ながら理解してもらえなかったようで、結局わずか数か月(冬休み前)で退塾してしまいました。

この生徒は進学校に通っている生徒でした。成績が上がらないと言うので、教科書の内容を基本から教え、自宅に帰ったらよく復習するようにと伝えました。

 

しかしあまり復習していなかったようで、次の授業の最初に前回の内容を確認しても教科書を見ないとできない状態でした。

 

本人はよく「まだ定着していないので。」と言っていましたが、何もしないで定着するはずがないのです。よくよく復習しなければいけません。

もっと言えば、この生徒は他にも難しい部分がありました。


例えば、授業の日と祝祭日が重なると、たいてい休みます。他の日への振り替えを提案しても、振り替えなくていいです、と断ってくる。


さらに定期テスト前になると、自分で勉強したいので、と言って授業を休む。

こういう生徒はたまにいます。

 

テスト前こそ塾に行って、テストに出そうな問題を先生に教われば良いのに、と思うのですが。

(大体の理由は見当がついています。この理由については機会があれば書きたいと思います。)

一体の何の為に塾に通っているのやら。

そういう学習の仕方をずっとやってきたから成績が上がらないんじゃないの?と思ってしまいました。

これを読んで下さって、自分にも思い当たる節があると思った方、または自分の子供がそうだ、と思った方に教訓にして頂ければ幸いです。

2023年10月01日

方程式

去年か一昨年だったと記憶してますが、ある方から電話をいただきまして、中学1年生のお子さんが学校で習っている方程式についての質問を受けました。

電話での話ということもあり、私はその方の質問しようとしていることが今一つ分かっていなかったのではないかと、後になって思いました。

後で思えば、その方の質問とは、「子供が学校で方程式を習っているが、なぜ方程式を作らねばならないのか意味を見い出せないようだ。どうしたらいいですか。」ということだったのではないかと思います。

この方のお子さんは、式を作らなくても文章を読んで見当をつけて答えを出せていたのかもしれませんね。


ここで一度小学生で習う問題を確認してみます。
 
〇+8=15 の時、〇に入る数は何ですか?というものです。

この問題は、足し算ができれば難なく解けます。8を足して15になる数は7しかありません。
または、引き算で考えて、15から8を引けば7と答えが出ます。

〇×4=8のようなかけ算の場合、
かけ算九九を使えば答えが出ます。この場合は「二四が八」で〇は2と分かります。
または割り算で考えて、8÷4をやれば答えが2と出ます。
ただし、ここで注意すべきは「かけ算の時は割ればいい」とだけ教えてはいけません。うっかりすると、4÷8とやってしまう可能性もあります。

ここまでなら〇をxとして方程式にして解く必要もないでしょう。

今度はもう少し複雑にします。
〇×3+2=14
こういう場合は〇×3を□に置き換えます。つまり、
□+2=14
として、まず□を求めます。□は12ですね。つまり、
□=12
そして、□を元に戻します。つまり、
〇×3=12 となるので
〇=4と分かります。

では、
(〇+2)×3=12はどうでしょうか。
この場合は〇+2を□に置き換えます。つまり
□×3=12
となるので、□=4と分かります。
そして□を元に戻します。つまり
〇+2=4となりますので、
〇=2と分かります。

さて、中学校では方程式の解き方を習います。

方程式を解く際には決まりがいくつかあります。


両辺をいれかえても等式が成り立つ。
両辺に同じ数を足したり、引いたり、かけたり、わったりしても等式が成り立つ。
というものです。


さらに「移項」というものも習います。

x+8=15は8を右辺に移項し
x=15―8
x=7
と解きます。
(何に8を足したら15になるだろうか?と考えずにやります。)
検算は最初の式にx=7を代入して確かめます。
つまり、7+8は確かに15になることを確認します。

2x=8は両辺を2で割って
2x÷2=8÷2
x=4
と解きます。
(2に何をかけたら8になるだろうか?と考えずにやります。)

または
2x=8の両辺に2分の1をかけてもいいです。

割るというのは逆数をかけるのと同じですから、特に係数が分数の場合は、私は両辺に係数の逆数をかける、と教えています。

方程式を作ることの利点は、式さえ作ってしまえば、後はどんなに複雑だろうとルールにのっとって機械的にやれば答えが出る、ということだと思います。

このルールを分かっていないと、
6x=3
の答えをx=2とやってしまったりするんですね。
どういうことかというと、6と3だけ見て、6÷3=2としてしまうんですね。
または6に何をかけたら3になるのかな?と悩んでしまう。
こういう生徒は要注意です。
教えている人は早めに気付いてあげましょう。


そして、答えを出すまでの過程をきちんと書かせましょう
6x=3
6x÷6=3÷6(数学が苦手な生徒にはこの行をきっちり書かせましょう。絶対に省略させてはいけません!(力説!))
x=1/2(2分の1)
(上で「÷6」は「×(6分の1)」でも正解ですよ。)
答えを出したら最初の式に代入させて検算させましょう。


連立方程式も同じで、(特に慣れないうちは)検算させましょう。
計算ミスの多い生徒には特に検算を徹底させましょう。

上の〇×3+2=14は
3x+2=14と式を作って
3x=14-2(+2を移項する)
3x=12
3x÷3=12÷3(両辺を同じ数3でわる)
x=4

とやれば□に置き換えて考える必要もありませんね。

文章問題の場合、値段や数の初歩的な問題では見当をつけることも可能です。

例えば、
「1個100円のりんごと1個80円のみかんを合計8個買ったら全部で740円でした。りんごとみかんはそれぞれ何個買いましたか。」
という問題です。
 
ここで式を作れない生徒はどうするかというと、考えられる個数を1つずつ当てはめていくんですね。


りんごが1個ならみかんは7個で合計は100円×1個+80円×7個で660円、
りんごが2個ならみかんは6個で合計は100円×2個+80円×6個で680円、
りんごが3個なら・・・
とやっていくとそのうち、問題に当てはまる答えが出ます。

りんごをx個として式を作ると、みかんは(8-x)個なので
100x+80(8-x)=740
となり、これを解けばx=5と求められます。
答えはりんご5個、みかん3個です。

しかし、問題が複雑になればなるほど、やはり方程式を作らないと解けなくなるでしょう。複雑な問題も式を作らずに解けたらその人は天才です。

さらには2年生になると連立方程式というのも習います。
これはもう式を作らないと難しいでしょう。

一部、当てはめてやる答えを出す方法もあるかもしれません。


例えば、
「十の位の数と一の位の数を足すと7になる2ケタの数があります。この数の十の位の数と一の位の数を入れ替えてできた数は元の数より27小さくなります。元の2ケタの数を求めなさい。」
という問題です。


足すと7になる数は1と6、2と5、3と4、
16なら十の位と一の位を入れかえて61、61-16=45だから問題に合わない。


25なら十の位と一の位を入れかえて52、52-25=27だから、これが答えだ!
答え25!とやったら間違いです。
元の数のほうが大きいのだから答えは52です。

連立方程式を作ると、
十の位の数をx、一の位の数をyとして
x+y=7
(10x+y)-(10y+x)=27
となります。

2023年09月01日

中学時代の勉強法:社会

今回は中学時代の社会の勉強法を書きたいと思います。


中学1年の時、毎回予習をやってくるように先生に言われました。


予習は教科書の内容をノートに自分なりにまとめて書かねばなりません。


毎回、ちゃんとやってきたかどうかチェックされます。
やって来ないと罰として額にその先生のハンコを押されます。いわば烙印(らくいん)です。(洗えばすぐに消えますが。)


ある時、いつものように先生はみんなの予習をチェックしていきました。
私はノートを見た先生に「なんだ、これしかやってないの?」と言われてしまいました。


ひょっとしたらその時は疲れていて、あまりたくさんできなかったのかもしれません。
またはノートの余白の都合でコンパクトにまとめすぎたのかもしれません。


先生に嫌味を言われ、(もっとやっておけば良かったな。)と素直に反省しました。


ところが、です。結局その日の授業は私が予習した範囲までしか進まなかったのです。
(ひょっとしたらもっと少なかったかも。)
自分の事を棚に上げる、とはこういうことを言うんですね。
私の嫌いなタイプです。


(俺に予習が少ないなどと言っておいて、先生だって少ししか授業進めていないじゃないか・・。)

とても悔しい気持ちになりました。
でもまた同じこと言われるのは嫌なので、次からは沢山予習しましたよ。

 

話が反れました。
2年と3年の時は別な先生になりました。厳しい先生でした。
予習をやって来ないと両方のほっぺをつねるのです。(通称ブルドッグと言います。)

中にはほっぺに青あざが出来てしまう人もいました。私も一度だけやられたことがあります。今では考えられない体罰です。

あまりにも痛いので毎回予習をしました。

やって来なかった友達に「ノートを見せて」と頼まれ見せてあげたこともあります。


ノートにまとめるというのは、意外と頭を使います。

ただ写すだけなら簡単ですが、見やすく分かりやすく、となると工夫が要ります。


並列の関係になっているものは箇条書きにすると見やすくなります。

例えば、文章では「○○○と△△△」となっているものを、
・○○○
・△△△
と書けば見やすくなりますし、並列の関係だと分かります。

因果関係になっているもの、順接や時系列順になっているもの、反対の意味や逆接のものなどは矢印で示します。

例えば、「○○○なので△△△」と書いてある場合は、
○○○⇒△△△


「○○○して△△△」は
○○○→△△△


○○○と△△△が反対の意味で使われている場合は○○○⇔△△△

と、自分でルールを決めて書けば見やすくなりますし、長々と文章を書く必要もなくなります。
これを読んでいる方の参考になれば幸いです。

そして、当然ですが、私のノートを写しただけの友達にはこれらの記号の意味なんて分からなかったはずです。

勉強というのは自分の頭を使わなければ身に付かない(自分のものにならない)のです。


と言っても、私の場合、予習だけでは成績につながりませんでした。

そこで、中学3年から復習にも力を入れました。それは、教科書をとことん読んで憶える方法です。


まず、1回目は読みながら大事だと思う所に赤線を引いていきます。
1ページ進んだら、次のページに進む前に今赤線を引いた所を、今度は必ず声に出して読みます。(もちろん内容を理解しながらです。)


完全に憶えたと言えるまで繰り返します。そして最後は教科書を閉じて憶えたことを声に出して言います。

もし言えなかったら、もう一度教科書を開いて確認します。


1ページちゃんと暗記できたら次のページに進みます。


おかげで3年で使う公民の教科書は赤線だらけになりました。


この方法を採用してから社会の成績は劇的に上がりました。(それまで5教科の中では社会が一番点数が取れませんでした。)


1年、2年の時は5割~良くても7割くらいだった定期テストの点数が3年の公民では8割~良い時は9割以上得点できるようになったのです。

2023年05月15日

高校時代の勉強法:英語

前回、中学時代の英語の勉強法を書きました。

では、高校時代にはどんなふうにやっていたかを書きたいと思います。

 

教科書の予習はそれまで通りやっていました。単語の意味を調べ、書いて読んで練習する、という部分も同じです。

 

最初の頃は中学時代と同じように本文をノートに写していましたが、これが実に大変でした。

なぜなら高校英語の教科書は文章が長い!からです。

書き写すだけで結構な時間がかかります。

 

ずっと後になってから、これはとても効率が悪いと気付き、やり方を変えました。

 

高校英語とはいえ、中には簡単な単語や文もあります。

例えば、「Are you ~~?」「Yes,I am.」などのような中学生でも分かるような文をいちいち書き写して、しかも日本語まで書くのは意味ないだろうと思ったのです。

 

比較的長くて意味の把握が難しい文や、予習の段階ではよく分からなった文だけをノートに書き写しました。

 

その際、教科書のどこを書いたか分かるように、ページと行を書いておきます。それも「○○ページ○行目」とは書きません。

 

少しでも時間を節約するために、p.37.l.5というように書いておきます。(pはページ、l は小文字のエルです。line(行)の略です。実際には数字の1と見間違えないように筆記体の小文字のエルを書きます。)

 

比較的長い文の場合、節や句などのまとまりが分かるように、かっこでくくっておきます。何が何を修飾しているのか分かりにくい場合はアンダーラインを引いて、修飾と被修飾の関係が分かるように矢印で示します。そして自然な日本語になるように注意しながら日本語を書きます。

 

1年生の時の教科書は2冊、同時並行でした。主に文章読解のような教科書と文法の教科書でした。

 

それ以外にも文法の参考書(シグマという名前の参考書で、今でも販売されています。)を渡され、時々テストがありました(通称シグマテストと言いました。)。

 

その参考書の内容は授業ではやりません。つまり完全に一人でやらなければなりませんでした。私はとてもそこまではこなしきれませんでした。

 

定期テストの前には教科書を復習し、単語を確認するなどして備えました。

 

時々、模擬試験がありました。本当はその復習もすべきでしょうがやることが多すぎて、やはりこなしきれませんでした。

2023年04月13日

中学時代の勉強法:英語

以前、「先生は中学時代にどんな勉強していたんですか?」と聞かれましたので、ここに憶えている限り書いてみようと思います。読んでくださる方の参考になれば幸いです。

 

英語の勉強法はシンプルです。

 

まず、予習をやります。ノートに教科書の本文を写します。そして新出単語を書き取り、意味は教科書の後ろのほうに載っているので調べます。一応本文の内容も日本語に訳してみます。

 

教科書の基本文は日本語訳とセットで丸暗記します。声に出して読んで憶えます。

 

英単語も声に出して読んで、そして何よりも書いて憶えます。

自分で頻繁にチェックして、「よし、憶えた!」と言えるまで繰り返し練習します。

 

あとは学校のワークなどをやります。

 

ここまで書いて何も特別なことをやっていないと思うのですが、いかがでしょうか?


特別な教材などは一切使っていませんし、学校以外で誰かに習った記憶もありません。

と思っていたら、当時大学生の兄に帰省中に少しだけ教わった記憶があります。

 

the otherとanotherの違いが分からなかったので、兄に教わりました。(定冠詞と不定冠詞の違いなど中学生の私にはあまり理解できませんでしたが。。)

 

単語の練習については、憶えるまで練習するのが基本です。

 

学校や塾の先生はなぜ単語の練習を宿題に出すのか?それは「練習して憶えて来なさい」ということです。憶えるのが目的だよ、ということです。

先生が「一つの単語につき、5回ずつ練習して来なさい」と言ったとします。

この場合、簡単な単語は3回でもいいかもしれませんが、後で先生にとがめられないために、一応5回はやっておきましょう。

その上で、自分にとっては難しくて覚えにくいと思える単語は10回、20回と練習すべきでしょう。

 

私が中学3年の夏休み、英単語の宿題が出されました。上に述べたように5回ずつ練習する、だったと思います。

 

夏休みが終わり、皆の宿題のノートが提出されました。先生がチェックする前か、した後かは忘れましたが、皆のノートが教卓の上に積まれていました。

 

教卓の周りで数人でおしゃべりしていたクラスメートの一人が、一番上にあった誰かのノートを(勝手に)何気なく開いて見たところ、単語がびっしりと練習してありました。

(その時、私は少し離れた所にいました。)

 

そこにいた人たちはみな驚いていました。

「これ誰のノート?」

開いたノートを閉じ、表紙の名前を確認しました。

 

 

それは私のノートでした。。

 

私は多くやる分には問題ないだろうと思い、特に難しい単語を憶えるために、これでもか、これでもか、というくらい沢山ノートに書いて練習し提出していたのでした。

 

私はこのころには、なにがなんでも行きたい高校に行くんだ、と覚悟を決めていたのです。

 

進学校を目指す中学生の皆さん、大学に行きたい学生の皆さん、教科書に載っている単語はできるだけ全部憶えるくらいの気持ちで練習しましょう。

2023年04月05日

オリエンテーションの思い出2

前回に続き、今回はオリエンテーションの思い出の中でも「嫌な」思い出を書きます。

 

保護者同伴だった1日目、既にクラス分けが決まり、自分の教室へと移動しました。

まだ3月ということもあり、担任は正式に決まっていません。

そこで、「仮担任」という形で割り当てられた先生達が対応します。

 

私のクラスに来た先生が名簿の確認を行いました。生徒たちの名前と出身中学を一人一人確認していきました。

 

そして、私の番に来た時、その先生は「安積一中じゃないの?」と聞いてきたのです。

私は「安積中学校です。」と答えました。すると先生は「安積一中でしょ?」と押してきました。

私「あ、はい・・・。」押しに負けて同意してしまいました(笑)。

 

ご存知の方もいらっしゃるでしょうが、安積中学校は昭和の終わりごろ分離し、新しく安積第二中学校(安積二中)ができました。

だからと言って、それまでの安積中学校が「安積第一中学校」になったわけではありません。手間暇をかけて名前を変える理由など全くありませんからね。

 

そのクラスには他にも安積中学校出身者が2名ほどいたのですが、「安積一中です。」とみんな訂正させられました(笑)。

 

その先生は中学校が分離した事実は知っていたのだろうか。そして同時に名前も変わったと思っていたのか。

 

だいたい私をはじめ他の数人も「安積中学校」と自己申告したのだから、(安積一中ではなく、安積中学校なんだな)と思いもしなかったのでしょうか。

(途中で何かあったとしても、自分の出身校の名前を誰が間違えるかっ、て。)

 

きっとこの先生は、自分の考えはいつも正しい、自分が間違っていて生徒の方が正しいなんてことはない、と思っているのでしょう。

 

権威主義的な人なのかもしれません。見た目、雰囲気ともにすごく生真面目な感じがしました。

 

その日は保護者同伴でしたから、私の母をはじめ、他の保護者達も教室の後ろのほうに立っていたんですね。でも誰も先生の間違いを指摘しないという・・。(雰囲気に押されたのか・・・。)


 

4月になり、出来上がった新入生名簿にはしっかり「安積一中」と書いてありました。

他のクラスのを見ると、同じ学校出身の人たちはちゃんと「安積中」と書いてあるという・・。

 

この先生は4月には別の学校に転勤してしまったようで、確認することはなかったでしょう。でもそのうち他の学校で自分の間違いに気付いたかもしれません。

 

そしてこの先生、実はかつて私の兄の担任でした。母は「良い先生だったよ。」と言っていましたが、

私にとっては実に良い反面教師となりましたよ。

 

余談ですが、当時は「安積第二高校(安積二高)」という学校がありました。夜学の学校です。現在のあさか開成高校の場所にあったと記憶しています。

安積二高があるからと言って、安積高校を安積一高とはいいませんよね、先生。

2023年04月01日

オリエンテーションの思い出

高校入学が決まると、入学前にオリエンテーションがありますね。

学校によっても違うと思いますが、私の時は2日間行われました。

3月の下旬のことです。

 

1日目は保護者同伴だったと記憶しています。

内容は主に事務的なものだったのではないかと。

体育館で辞書を選んで買ったり、体育で使うジャージなどを購入した記憶があります。

その場で現金で支払うので保護者同伴の必要があったのでしょうか。

 

その日は教科書や辞書など重い荷物を持って帰ったはずです。


2日目は学習の進め方などの説明を受けました。

新入生が全員体育館に集められ、国語、数学、英語の先生から予習の仕方などについて説明を受けました。

 

そして「入学まであと2週間あるので、2週間分の予習をしておくように。」と言われました。これははっきり憶えています。

 

入学してすぐ新入生テストがあります。

驚いたのはそのテスト範囲です。

国語と英語は憶えていませんが、数学は既に高校の教科書の内容が20~30ページ分含まれていたのです。

 

私は次の日から毎日、高校の数学の教科書に向き合い、春休み中にテスト範囲の学習を終わらせたのでした。

 

新入生テストが終わり結果が出ると、思っていた以上に順位が良かったことに自分でも驚きました。

進学校は大変だと思いますが、がんばって学習した分の成果はきっとあるはずです。

 

春休み中にのんびりし過ぎてしまった生徒さんたち、遅すぎることはありません。4月から励みましょう。

2023年03月31日

人間万事塞翁が馬

じんかんばんじ、さいおうがうま、と読みます。

私の好きな言葉の一つです。

 

「人間」を「にんげん」ではなく、「じんかん」と読む場合は、世間、世の中、という意味です。

故事について興味のある方はぜひ調べてみて下さい。

 

世の中というのは、幸が不幸に、逆に不幸が幸につながることもある、という意味だと理解しています。

今回、なぜこの話を書いたかと言いますと、今の時期は入試、進学の時期であるからです。


先週、福島県立高校入試の発表がありました。合格した生徒もいれば、不合格だった生徒もいるはずです。


自分なりに努力したけれど、残念ながら不合格となり、不本意ながら希望とは違う別な学校に行くことになってしまった生徒さん、しかし、その学校で素晴らしい経験をすることになるかもしれません。


生涯の師に出会うかもしれません。

生涯の友に出会うかもしれません。

生涯のパートナーに出会うかもしれません。


だからめげずに生きてください。最善を期待して励みましょう。

 

逆に第一志望校に合格した生徒さん、おめでとうございます。

しかし、いつまでも浮かれていてはいけません。

高校入学後、早い段階で授業に付いて行けなくなる生徒を私は何人も見てきました。


特に進学校の生徒たち、高校は第一志望に入れたが、大学入試は妥協に妥協を重ねた結果の進学先、とならないように気を引き締めていきましょう。3年間はあっという間です。


私が高校1年生の時、入学した直後、クラスメートの1人が学校に来なくなってしまいました。

(理由は分かりませんが、その人がクラスメートと話している姿を見たことがなく、ひょっとしたら学校になじめなかったのかもしれません。)

 

せっかく第一志望の学校に入ったのに、担任が嫌な先生だったり、クラスや部活の人間関係で悩んだり、学業が思い通りにいかなかったりして、退学とはいかないまでもつらい学校生活を送ることもあるかもしれません。

 

しかし、それらもいずれは幸運へつながることもあるかもしれません。


塞翁が馬の故事では、不幸から幸へとつながって終わり、ではなく、逆に幸から不幸へつながって終わり、でもなく、幸と不幸を繰り返していきます。

2023年03月22日

卒業式の思い出

3月は卒業の季節ですね。

というわけで、自分の卒業式の思い出を書きたいと思います。


まずは幼稚園の卒業式、というか卒園式・・・・・は全然覚えていません。

 

母の話によると、周りの保護者の中には感極まって泣いている人が多くいたようです。

 

子供は小さいうちほど手がかかるでしょうから、よくぞここまで成長してくれたな、と言う思いなのかもしれませんね。

 

小学校の卒業式は一番思い出に残っています。

6年間も過ごした学校ですから、やはり寂しい気持ちがありました。

練習を何度もやりましたが、本番は練習と比べ物にならないくらいの緊張感がありました。

卒業証書授与は一人一人名前が呼ばれ、登壇して受け取るという形でしたので尚更です。

 

そして終盤、「仰げば尊し」の斉唱では感極まり、泣き出す生徒達がいました。私も泣きそうになりました。

 

中学校の卒業式ではあまり感動しませんでした。

 

小学校に比べ、中学校は自由が少なく、先生たちは口うるさい、と思っていましたので、こんな所早く(さっさと)卒業したい、という気持ちが強く、やっと卒業できるよ、とむしろ清々したものです。

 

しかし、式の後、教室に戻り、担任の先生の最後の話を聞きながら泣きそうになりました。

若い男性の先生でしたが、私たちのクラスが初めての担任だった、皆の写真を胸のポケットに入れておく、という言葉を聞いた時に急に何かこみ上げ来たのです。

(この先生は若く歳が近いことと、また、あまり口うるさくなかったので、私は親しみを感じていたのでした。)

 

次に、高校の自分の卒業式の話を書く前に、自分が2年生の時、在校生つまり見送る側で出席した時の話を書きたいと思います。

 

一般的に、式の中で卒業生代表の言葉というのがありますね。文字通り、卒業生の代表が登壇し、色々と述べるものです。

この時の卒業生代表の方は、ごく一般的にやるように登壇すると白い紙を取り出し、原稿を読み始めました。

 

最初は入学した当時の思い出が述べられます。「3年前、桜の花の咲くころ・・・」といった感じです。そして、入学後に新入生を待ち構えている伝統的な行事、対面式や応援歌練習などについての思い出も述べていきます。

 

さらに様々な学校行事についても次々と順を追って述べられていきます。単にこういう行事がありました、と言うだけでなく、感想付きです。

 

(・・え?まさかこの人、この調子で3年分の思い出を延々としゃべるつもりか?・・・)

失礼ながら、私は眠気に襲われそのまま目を閉じ眠ってしまいました。

(知り合いでも何でもない人の思い出話など、退屈でしかありませんでした。)

 

・・・どのくらい眠ったか憶えていませんがふと目が覚めました。壇上を見ると、卒業生代表がまだ言葉を述べています。

内容はというと、2年生の修学旅行(秋)の思い出です。

(まだ半分か・・・)

私は再び眠りに落ちました・・・。

 

3年生になり、今度は自分が見送られる番になりましたが、小学校、中学校と比べ、段々緊張感も感動もなくなっていきました。

(中学校と同様、早く卒業したいという気持ちのほうが強かったのです。)

そして、式の途中、またしても眠くなり眠ってしまいました。(毎日の受験勉強で疲れていたに違いない、と言い訳しておきます。第2志望の大学の受験がまだ残っていました。)

 

ウトウトしている時、

「・・生、起立!」という声が聞こえました。私はビクッとして危うく立ち上がりそうになりました。周りからはクスクスと笑う声が聞こえてきます。

(危なかった・・・)

「在校生、起立!」のかけ声で、「卒業生」の自分が起立するところでした・・・。

 

大学の卒業式は思い出がありません。

なぜなら出席しなかったからです。

正確には、「出席できなかった」のです。

 

卒業後はある会社に入社することが決まっていましたが、その会社は3月の下旬に入社式があり、卒業式の日(平日)には既に仕事が始まっていたのです。

 

事務方の上長に、卒業式に出たいので休ませて欲しいと願い出ましたが、「欠勤になるよ」と冷たくあしらわれてしまいました。

 

「別に欠勤で構いません。」と言いたいところでしたが、入社早々周りとぶつかりたくないので卒業式は諦めたのでした。

(お世話になった先生や、クラスメートと最後に会って挨拶したかったのですが・・・)

 

卒業証書は大学に連絡し、宅配便で送ってもらいました。

 

以下、余談ではありますが、この会社とは最初から反りが合いませんでした。(学習塾ではありません。)


仕事で他の会社の人と会う都合上、名刺を作ってくれと言っても、「試用期間中だから名刺は作ってやれない」と言われたり(じゃあ本採用するつもりないのか?)、直属の上司には「残業は君が好きで勝手にやってることだから」と言われ(やらざるを得ないからやってるんですけど)、結果、残業(サービス残業含め)が月80時間近くまで増えたり(今でいう過労死ラインですね)。

 

そしてついに耐えきれなくなり、私は半年でこの会社の「卒業」を強行したのでした。

2023年03月01日

気になる言葉

昔は聞かなかったけれど、最近聞くようになった言葉でいくつか気になる言葉があります。

今回はその内の一つについて書こうと思います。

 

それは「普通に○○」という言葉です。

 

一番最初に聞いたのは、数年ほど前の新聞か何かの投稿でした。

 

投稿主はある時、知り合いの若い人に手料理をご馳走したそうです。

そして感想を聞いたところ、その人は「普通においしいです」と答えたそうです。

投稿主は、喜んでいいのかどうか複雑な思いをした。と、そんな趣旨の内容でした。


「普通においしい」というのは美味しいには違いないけれど、ものすごく美味しいわけでない、ということでしょうか。。

 

だとしたら言われた方は複雑な気持になるでしょうね。。

 

単に「おいしいです」とだけ言ってくれれば良いものを・・、わざわざ「普通に」と付け加えることで、「ものすごく美味しいわけではないですよ」と伝えているようなものでしょうに。

 

そして、最近になってこれと同じ言葉をテレビで聞いてしまいました。

ある地方テレビ局のリポーターが、取材先の商品を味見させてもらった、その時の言葉、

「うん、普通においしい」と。。

 

言われたほうの人の表情はマスクと眼鏡で読み取ることができませんでしたが、どんな思いをしたでしょうか。

 

いや、ひょっとしたら「普通に」というのは程度の問題ではなくて、「当然のように」と言う意味だったのではないか?と思ったりもしましたが、言った人に真意を聞いてみたいものです。

 

言葉は慎重に選びましょう。

 

特に、新しい言葉、あまり一般的でない言葉は誤解される可能性があります。

2023年02月22日

かけ算と累乗の話

以前勤めていた塾で他の講師から聞かれたことがあります。

「0乗をどうやって生徒に説明しますか?」と。

 

中学生に対して、単に「0乗は1だよ」と教えると、必ず「え?0乗は0じゃないんですか?」と言う生徒が出てきます。

 

累乗というのは、例えば、2の3乗とは2×2×2のことですが、私は生徒に教えるときに「2を3回かける」と教えています。

 

それならば、2の0乗は2を「0回かける」、つまり「何もかけない」のだから0になるのでは?と考えてもおかしくありません。

 

ですが、本来かけ算には「かける数」と「かけられる数」があります。(一つだけではかけ算になりませんので。)

 

小学校で習った記憶があるのですが、2×3(2かける3)の場合、2に3をかける、つまり、かける数が3で、かけ「られる」数が2です。(逆ではありません。)

 

では、少し前に戻って2の3乗、2×2×2を考えてみましょう。

 

これは、かけられる数2に2を「2回」かけている、と言えますね。「3乗」なのに、かけているのは「2回」と言えます。

 

もっと一般的に言って、2のn乗は2に2を(n-1)回かける、と言えます。ややこしいですね。

 

そうすると、「2を3回かける」という言い方は間違っているのでしょうか。

 

いいえ、そうではありません。厳密には「1に2を3回かける」と言えば問題ありません。

つまり1×2×2×2となります。計算結果は同じです。

一般的に言うと、2のn乗は1に2をn回かける、となります。

 

0乗の話しに戻ります。

2の0乗は「1に2を0回かける」、つまり「1に何もかけない」、だから答えは1となります。

実際この理屈はややこしいので、私は中学生には0乗を教えないようにしています。

 

高校数学の「指数」ではこんな教え方はしません。

 

指数法則と組み合わせて0乗が何かを導きます。

2022年10月31日

昔習った歌その2

今回は日本人なら誰でも知っている歌、君が代についてです。

私が学生のころは、いや、今でもそうだと思いますが、卒業式には必ず「君が代」を歌わされました。

 

しかし、小学生の時の卒業式の練習は単に「歌わされる」というレベルではありませんでした。

音楽の先生が厳しかったのか、何度も何度も繰り返し練習させられたのです。特に「ブレス(息継ぎ)」の場所を間違えると注意されました。

 

たかがブレスくらいで、先生たちはよほど厳かな式にしたかったのだろうか、と、これを書きながら思ったのですが、「仰げば尊し」や「蛍の光」ではそんな注意はされなかったんですね。。

 

君が代だけは別格なのか。。

 

ちなみにまだこの頃は君が代は「国歌」として法律で規定されていませんでした。

インターネットで調べたところ、「国旗及び国歌に関する法律」は1999年に公布、施行されています。


そして当時、歌詞の意味は全く考えずに歌っていました。

大人になってからもよく分からなかったのは「さざれ石のいわおとなりて」の意味です。


「さざれ石」は小さい石、「いわお」は大きい石だと思ったので、小さい石が大きい石となって、さらにその石に「こけのむすまで」つまり、苔が生えるまで長い時間、という意味と理解していました。

しかし、小さい石が長い時間かければ勝手に成長して大きい石になるのだろうか・・・、という疑問がありました。

逆に、風化して大きい石が小さい石になるのなら分かりますが。

 

と思っていたら、ある時テレビで見たのです。君が代発祥の地と言われている神社で、さざれ石がいわおとなったものを・・・。

それは私の想像とは別の物でした。

一つの小さい石が成長して大きい石になった物ではなく、小さい石がたくさん集まってくっついて大きい石になった物でした。

 

ところで、君が代発祥の地と言われている神社は全国に複数あるようです。

興味のある方はぜひ調べてみてください。

2022年10月31日

校歌の話

前回、母校の小学校の校歌の話を書きました。

ふと、母校の中学校の校歌を思い出そうとしました。

メロディーは覚えているのですが、歌詞が部分的にしか思い出せませんでした。

(小学校の校歌は半分くらいは覚えていたのですが。)

小学校に比べ、中学校は過ごした年月が短かったせいでしょうか。

(それとも中学校はあまり好きじゃなかったせいかな・・。)

 

そこで、安積中学校のホームページを確認し、引用させてもらいます。

 

安積中学校校歌

 

1番 緑の松の成山の

   麓に匂う学び舎に

   歴史はるかに負うて立つ

   若き学徒の意気高く

   あゝ眉あげて希望のあした

 

2番 音無し川のせせらぎに

   澄みゆく心美しく

   ちまたに嵐すさぶとも

   強く正しく生い立ちて

   あゝ守りゆく平和の郷土

 

3番 光よ風よ行く雲よ

   友むつまじく手をとりて

   学びの道にいそしめば

   若き血潮は湧きあがる 

   あゝうちたてん文化の日本 

 

私が覚えていたのは1番の最後の行、2番の最初の行、3番はほぼ全部でした。

 

安積第一小学校の校歌と同様に、「緑の松の成山」「音無し川のせせらぎ」と、学校の周りの情景は詠まれていますが、あまり多くはありません。

 

周りの情景よりも、若人たちが未来に向かって進んで行く、ということに視点が置かれているように感じます。

 

義務教育が終わり、未来への希望が感じられます。

メロディーは軽やかで躍動感があります。

(対して安積第一小学校校歌のメロディーはのびやかです。私は小学校の校歌のほうが好きですが。)

 

学校のホームページによると、創立が昭和22年、校歌が作られたのは昭和27年です。

戦後まだ間もない頃ですね。

 

文部科学省のホームページによると、昭和25年の高校進学率は42.5%です。つまり、半数以上は中学卒業後、社会人になったということができます。

 

「守りゆく平和の郷土」「打ちたてん文化の日本」という歌詞からは、自分たちがこの社会を、戦後の日本を作っていくんだ、という気概が感じられます。

 

実際に校歌を作ったのは大人でしょうから、戦後の未来を作っていく若者たちに希望を託し励ました、とも言えますね。

2022年07月14日

昔習った歌

仰げば尊しの中から

 

「思えばいととし」←ココ

「愛おしい」にしてはちょっと違う。

「いとおし」とは違いますから。と思って調べたら「いと疾(と)し」だそうです!

 

「いと」は古典で習いますが、「とても」と言う意味。

「疾し」は「早い」と言う意味。

ちなみに使っているパソコンで「とし」を変換しても「疾し」が出てきませんでした。

「疾風(しっぷう)」と入力して1字消しました。

「今思えばとても早かった、この年月は」という意味かと思います。

 

2つ目

「忘るるまぞなき」

「忘るる」は「忘れる」のことだろうな、というのは分かる。

では、まぞなき?とは・・・

現代では「~~ぞ・・・」なんて使いませんから、子供が分からないのも当然です。

きっと「ぞ」は古典の授業で習う「係り結び」というものですね。

「忘れる間もない」という意味でしょうか。

 

もう一つ

「今こそ別れめ」←ココ

私はずっと「別れ目」だと思っていました。

「別れの時」くらいにしか思っていませんでした。

すぐ前に「こそ」があるので、「別れむ」(別れよう。別れるべき)の「む」が変化して「め」になったということだそうです。(これも確か係り結びの法則です。)

 

これも意味がちゃんと分かっていたなら、卒業式でもっと気持ちが込められたのではないかと思います。(ひょっとしたら自分が忘れただけで、先生がちゃんと教えてくれていたのかも・・。)

2022年07月13日

七夕の歌と昔習った歌

毎年七夕が来ると思い出すこの歌


笹の葉ーさーらさら~~♪

・・・・・

・・・・・
(あれ?なんだっけ?)

んーんーんーにー揺れーる~~♪

(おちば?まきば?確かそんな感じ)

特に気にもならないので今まではこれで終わっていました。

が、今年はちょっとスマホで調べました。

(ああ、のきば、か・・・

で・・・のきば(軒端)ってなんだ??)
そして、軒端の意味ももちろん調べました。

 

子供の頃聞いた歌、習った歌の歌詞って意外とあやふやだったりしますね。

意味もわからず歌っていたというのは皆さん経験があるのではないでしょうか。

 

母校の校歌を思い出しました。

  安積第一小学校校歌

 

1番 山の姿や水の色

   花にもみじに春秋の

   尽きぬ眺めを集めたる

   学ぶ我がやの美しさ

 

「花」は桜を指すのでしょう。(高校の古典の授業で花は桜を指すと習いました。)

春の桜と秋の紅葉を対比させているんですね。

「我がや」は「我が家」ではなく、きっと「我が学び舎(や)」ですね。子供にはちょっと難しいですね。

おそらく「尽きぬ」も分かっていなかったと思います。

 

2番 かたきみさおは成山の

   松のほこりのふかみどり

   清き心は音無しの

   水の流れと影は澄む

 

「かたきみさお」は当時、人の名前(男の子の名前、みさお君)だと思い込んでいました。

(実際には「固き操」ですね。子供に「操」の意味なんてわかるはずもなし・・)

 

「成山」というのは「なりやま」と読みますが、安積第一小学校のすぐ近くにある山、というより、丘と言った感じでしょうか。

 

「ほこり」は「誇り」ではなく、「埃」だと思っていました。

 

「清き心は」以下、このブログを書くまで全く思い出せませんでした。(学校のホームページで調べました。)

 

ちなみに「音無し」は「音無し川」、現在の笹原川(学校のすぐそばを流れています)だと学校の先生に聞きました。安積中学校の校歌にもあります。

昔は音もしないくらい穏やかな川だったのでしょうか?

 

3番 この山川を友として

   心を磨き身を鍛え

   人とし生きんその日まで

   あした夕べに勤(いそ)しまん

 

「生きる」「生きよう」と言えば分かるのですが、「生きん」では意味がよく分かりませんでした。

「その日」は、いつを指しているのか今も分かりません。

 

「あした」はずっと「明日」だと思っていましたが、「朝(あした)」だと思いました。

つまり、朝も夜も勤しもうという意味ではないかと。


 

今思えばとても美しい歌詞ですね。

子供の頃に意味が分かっていればもっと心を込めて歌っていたかもしれません。

 

歌詞がいまいちよく分からないと言えば、当時の卒業式の定番「仰げば尊し」「蛍の光」

も分からない部分がありました。

 

その話は次回に。

(歌詞は安積第一小学校のホームページより引用。歌詞の一部は漢字に直しました。)

2022年07月07日

学校のテストに対する疑問その2

今回は数学と他の例について述べたいと思います。

学校によって対応は違うと思うので、私が実際に見た例をお話しします。

 

数学

中学2年生で三角形の合同の証明問題を習います。

2つの三角形が合同であることを証明するには、3つの合同条件のどれかに当てはまることを述べる必要があります。


合同条件

1.1組の辺とその両端の角がそれぞれ等しい

2.2組の辺とその間の角がそれぞれ等しい

3.3組の辺がそれぞれ等しい

 

というものですが、私の生徒はテストで「が」の所を「は」と書いたんです。

つまり、「~~がそれぞれ等しい」と書くべきところを「~~はそれぞれ等しい」と書いたんです。

それで×でした。。。

 

確かに「が」と「は」ではニュアンスの違いがあります。

理由を述べるわけですから「~~は」よりも「~~が」のほうがいいでしょう。

しかしながら、合同条件の3番目であれば、3組の辺がそれぞれ等しいことを分かって書いたわけですから、間違いとすべきではないと思います。

採点者は、「が」を「は」と書いたからと言って、全然違う事を考えていたとはきわめて考えにくい、とは思わなかったのでしょうか。

前回英語の回で書いたように、正確さ、あるいは形にこだわり過ぎです。

杓子定規とはこのことです。

 

ちなみに、上に書いた合同条件を見て、自分が習ったのとちょっと違う、と感じた方もいらっしゃるかもしれません。

そうです、

10年くらい、いや、もっと前だったかもしれませんが、昔の教科書とは表現が違うのです。

(述べている内容は同じです。)

 

合同条件(昔の教科書)

1.1辺とその両端の角がそれぞれ等しい

2.2辺とその間の角がそれぞれ等しい

3.3辺がそれぞれ等しい

 

昔のは「組の」がないんですね。

3番目の「3辺がそれぞれ等しい」だと「え?正三角形?」と誤解する人もいそうですね。

そういう誤解を防ぐために「組の」を入れたのではないかと思います。

 

 

その他の疑問

 

理科の問題でした。

「~~は何倍になりますか?」という問題でした。

正解は3倍だったのですが、

私の生徒は「3」とだけ書いて×になりました。。。

どういうことかお分かりでしょうか?

つまり「倍」を書かなかったので×になったのです。

私の生徒は「何倍ですか?」と聞かれて、3「倍」だと分かったから「3」とだけ書いたのです。当たり前です。

3「個」でも、3「回」でも他のなにものでもなく、3「倍」だと分かっていたのです。

それを×にするとは、まったくもって呆れてしまいます。

 

「あなたは何歳ですか?」と聞かれて、「50」とだけ答えたら相手に通じませんか?

もちろん通じますよね。これで通じなかったら聞いた方がおかしいのです。

それとも、聞かれた方がなにか勘違いして(体重は)「50」(kg)と言おうとした、とでも言うのでしょうか。

2020年12月10日

学校のテストに対する疑問(英語)

学校のテストに対する疑問点をいくつか指摘したいと思います。

今回は英語についてです。

 

言葉はコミュニケーションの手段であるはずです。つまり、コミュニケーションができるかどうかが一番大事であると考えます。

しかし、学校の英語のテストを見ますと、細かい所で間違えて減点されてしまいます。

 

例えば、複数形のs、3単現のs。

two books と書くべきところを

two bookと書けば減点です。

 

She likes baseball. と書くべきところを She like baseball.と書けば同様に減点です。

配点が2点の問題が1点減点ならまだしも、0点になる場合もあります。

 

しかし、どちらも s が無くても意味は通じると思います。

日本の学校の英語教育は正確さにこだわり過ぎではないでしょうか?

 

不正確なよりは正確なほうが良いに決まっている、という意見もあるでしょう。

しかし、正確さにこだわるあまりの弊害というものを考えたことがあるでしょうか?

外国人とコミュニケーションしていて、いちいち間違いを正されたら楽しいでしょうか?

学ぶ意欲やコミュニケーションの意欲が無くなってしまわないでしょうか?

 

学校のテストや入試では多少不正確でも通じれば○にして、正確な答えと点差をつけない、というのも一つの方法ではないでしょうか。

 

一方で、将来英語を本格的に使いたい人には、正確さも大事だよと教えておけばいいと思います。

 

多くの日本人が中学高校と最低6年間も英語を学んでいるのに、英語をしゃべれないのは、細かい所にこだわり過ぎて、完璧な英語を話さなければいけない、と思い込んでいるからではないか?という指摘を何かの本で読んだ記憶があります。


これからの時代、英語を母国語としない人どうしのコミュニケーションも増えることでしょう。

そんな人どうしが完璧な英語を話さなければいけない理由はありません。

 

東京書籍の英語の教科書でも次のような文が書いてあったはずです。

(確か、外国にホームステイした日本人学生の質問に答えたベイカー先生(Ms.Baker)の言葉だったと記憶しています。)


But You don't have to speak perfect English.

(でも、完璧な英語を話さなくてもいいんだよ。)

 

すが人気者のベイカー先生です。わかっていらっしゃる。

外国人の立場から、もっと日本の英語教育に口出ししてほしいものです。

 

(追記)

教科書が替わり、上に述べたベイカー先生は出て来なくなりました。

2020年12月10日

嬉しいニュースがありました

今年度最初の合格の知らせがありました

高校3年生が推薦で決まりました。

高校入学時から通ってきてくれてたのでとても嬉しいかぎりです。

今後の活躍を期待しています。

2020年12月10日

県立高校入試出題範囲について

福島県立高校入試の出題範囲が変更されました。

詳しくは福島県教育委員会のホームページに書いてあります。

新型コロナウィルスの影響で学校が休校になったりしたため、学習進度が遅れている、というのが理由で、範囲が一部除外されます。

この判断自体は妥当だと私は思います。

しかし、疑問に思うのはその内容です。

 

例えば、数学では3年の教科書(東京書籍)の最後の章「標本調査」が除外されます。ページ数で言うと約20ページです。

英語なら東京書籍のLet'sRead2とLet'sRead3の新出単語が除外されます。本文自体はページ数で言うと約10ページです。

一方で理科は指導要領の「科学技術と人間」「自然と人間」の部分、東京書籍の教科書なら約50ページが除外されます。

社会は東京書籍の約45ページが除外されます。

 

1つ目の疑問は、理科、社会はまだしも数学はこの程度の除外で足りるのかな?ということ。

理科、社会の時間を数学の授業に充てるつもりなのでしょうか?

また、夏休みの短縮や学校行事の縮小で授業時間をある程度確保したとしても、短い期間に詰め込むわけですから、授業に付いてこれない生徒もいるのではないか、と思います。

 

実際、私が教えている生徒の話を聞くと、完全に学校が再開した6月くらいから急に授業のスピードが早くなったように感じています。


2つ目の疑問は、新型コロナウィルスの感染がこの後も拡大し続け、またあちこちで休校になる、という可能性は考えていないのか?ということ。

 

現に今、都会では再び感染者が増えてきており、福島県内でも感染者が報告されています。ワクチンや特効薬が開発されるまでは、収まることはないと感じております。

 

数学の「標本調査」は学習しなくても高校に入って困ることはありません。おそらく理科、社会の除外となった部分もしかりです。

しかし、数学の「三平方の定理」や「2次関数」「相似な図形」は学習しておかないと、高校の数学へのつながりが悪くなります。

中学1年、2年の内容は次の学年でやることも可能でしょうが、3年の内容は中学でやっておかないと、高校側(高校の先生)の負担が増えます。(多くの高校の数学の先生は、中学数学を教えたことはないでしょう。)

つまり、高校への配慮もあるのかな?と勘ぐってしまいます。

 

私の提案

数学の出題範囲の除外部分を増やし、その分は高校1年で履修させる。

高校1年の内容の一部は2年で、2年の内容の一部は3年で、というふうに後ろに持っていく。

大学入試を意識するなら、どうせ普通科の高校は夏休みや春休みに課外授業をやるので、そこで調整し、高校の内容も含め3年で終わらせる。

もし再び休校などになった場合は、除外部分を増やし、上に書いたように次の学年で履修するようにする。場合によっては数学に限らず、高校3年の学習内容の一部を大学入試の範囲から削除するように、文部科学省から各大学へ指示する。

 

もっと言えば、この機会に、これは本当に中学校あるいは高校で習う必要があるのか?という声がもっと上がってきてもいいんじゃないか、と思っています。

 

かつてのセンター試験は変わりますが、今まで、なぜ人文系の大学に入りたい生徒にセンター試験で数学を課す必要があるのか?と思っていました。

例えば、かつてのセンター試験「数学Ⅰ」では「正弦定理・余弦定理」が使えることが必須でした。しかし、この定理の公式を覚えたところで、人文系の学生には試験以外になんの役にも立たないことは皆分かっていたはず・・・。

 

最近、新しい生活様式という事が言われるようになりました。

こういう危機の時代だからこそ、今まで当たり前だったことを考えなおし、教育にももっと新しい考え方ややり方を取り入れるべき時に来ていると思います。

2020年08月17日

確率とトランプ(カード)の話

中学2年生の数学では「確率」を習います。

 

例えば、「サイコロ(6面)をころがし、偶数の目が出る確率を求めなさい」

というような問題です。

 

サイコロではなく、トランプが出る場合もあります。

「ジョーカーを除いた52枚のトランプの中から1枚ひくとき、ダイヤが出る確率はいくらですか?」

というような問題です。

トランプでよく遊んだ経験がある人ならそれほど難しくないと思います。

 

ところが、です。

驚いたことに今どきの子供の中には、トランプをよく知らない、という子供がいるんですね。

 

マークはダイヤ、ハート、スペード、クローバーの4種類あることや、1つのマークにつき、1から13までの数字があることを知らない。

まして、「ジャック(J)、クイーン(Q)、キング(K)」が何のことか分からない。

そうなると当然「絵札」の意味も知らないんですね。

問題に「絵札を引く確率」とあっても解くことができないんです。

 

教える方は確率以前に、トランプを教えなければいけないという・・・。

(「確率の授業は置いておき、今日はクラスのみんなでトランプをして遊ぼうっ!」というのはもちろん冗談ですが。)

 

これは私に考察の機会を与えてくれました。

そもそも、出題者はトランプというものを皆知っていると思って出しているんですよね。でもこれは出題者の思い込みに過ぎないのではないか?

私も子供たちは皆(というか、世間の人は皆)トランプのことを知っているという思い込みがありました。

 

では次に、遊びの一種に過ぎないトランプというものを知る必要があるのか?

テストに出されるのであれば、知っておいたほうがいいでしょう。

しかし、トランプではなく別な遊びだったらどうなのか?

例えば、花札、マージャンだったらどうなのか?もしこれらから出題されるとなったら、子供たちは皆、花札やマージャンの知識を得なければならないのか?

例えば、花札なら

「赤タン」「青タン」がそろう確率、「猪鹿蝶(いのしかちょう)」が出る確率、「坊主」が出る確率とか・・・。

(※知らない人のために、赤タン、青タンのタンは牛タンのタンではないです。。。子供の頃は考えてもみませんでしたが、短冊のタンです、たぶん。)

マージャンなら

「字牌」が出る確率、「シーサンプトウ」になる確率など・・・。

 

トランプなんて常識だろう、などと思ってはいけません。

子供の遊びはおそらく変化し続けていると思います。

カードはカードでも、トランプではなく、ゲームやアニメのキャラが描かれたカードゲームなど様々です。

 

いつか確率の問題からトランプが消える日が来るかもしれませんね。

 

2020年06月04日

隔世の感2-4~男女の別

久しぶりのブログ更新です

 

・職業と性別

私が子供の頃、看護師は「看護婦」と呼ばれていました。今は「看護婦」という言葉はほとんど聞かなくなりました。

「婦」とは文字通り、女性を指す言葉です。実際、看護師は女性が多かったのだと思います。でも、そもそも男性が看護の仕事をしてはいけない理由はないですね。昔は看護や介護の仕事は女性がするものという固定観念があったのでしょうか。

 

最近では私の生徒の中にも、看護師を目指す男子がいます。性別にとらわれることなく頑張ってほしいと思います。

 

かつて「スチュワーデス」という言葉がありました。今では「キャビンアテンダント(客室乗務員)」(これは和製英語だそうですね)と言われています。

「ウェイトレス」「アクトレス」という言葉と同様に、語尾に「ess」を付けたものは女性を表します。

実際、今では男性の客室乗務員もいるようです。

 

「女子アナ」という言葉があります。男性のアナウンサーは「男子アナ」と言わないのに、女性だけは頭に「女子」を付ける。正直に言いますと、「女子アナ」をまるでタレントかアイドルのように売り出していこうとするマスコミのいやらしさを感じます。これは隔世の感ではなく、むしろ私が若い頃と変わってないな、と感じた例です。


 

・リケジョ

「リケジョ」という言葉があります。昔はこんな言葉ありませんでした。理系の女子、略してリケジョだと思いますが、この言葉にも私は差別意識を感じます。暗に男性=理系、女性=文系という意味のない分類があるんじゃないかと感じます。

 

しかし、仮に理系の女性の人数が少ないからと言って、特別視するほどのことか?と思います。

逆に文系の男子を「ブンダン」などと言ったりはしません。

誰が言いだしたか分かりませんが、上記の「女子アナ」と同じようにいやらしさを感じます。

 

昔、兄の大学の卒業アルバムを見せてもらったことがあります。工学部はほとんど男子でしたが、一方で、薬学部はほとんどが女子でした。

今でも地元の日大工学部は男子学生が圧倒的に多いそうです。

私は大学卒業後、製造業の会社に勤めたことがありますが、男性が多かったです。今はどうか分かりません。

 

2020年06月04日

男女差別

・医学部入試での差別


 ある複数の大学の医学部入試で、女子や浪人生を不利に扱っていたことが明るみになりました。教育に携わる者として、このようなことは言語道断と感じます


 女子を差別した理由の一つとして、ある大学の場合、入試の面接では、女性はコミュニケーション能力が生まれつき高いので、不利になる男子の点数を補正した(つまり男子の受験生の点数プラスした)ということを新聞で読みました。
苦し紛れの言い訳に過ぎないのかもしれませんが、実にひどい話です。


 女性のほうが生まれつきコミュニケーション能力が高いなどとは疑わしいです(上記の大学の場合、ある論文を根拠にしたそうです)が、生まれつき、というのが本当にあったとして、男女関係なく、生まれつきの能力を生かして何が悪いのかと思います。そもそもその能力がどの程度生まれつきで、どの程度本人の努力の成果なのか、大学側はどうやって判断するのでしょうか。
 たとえていうなら、生まれつき身体能力の高い人がスポーツ選手になってはいけないのでしょうか。


 きっと、医師は男性が多く、看護師と薬剤師は女性が多いということと無関係ではないのでしょう。

 


・かつて働いていた塾での経験


 上に書いたことと関連します。私は20代の頃、ある学習塾で働いていました。郡山市でできたばかりの塾でした。最初は正社員希望で応募しましたが、塾側の都合でとりあえずアルバイトで採用されました。

 

 夏休みになり、教室を増やすと言うので私に正社員(教室長)としての採用の声がかかりました。教室長というのはいわば店長のようなものです。

 その時の代表者(男性)A氏の言葉です。

「本当は女性のほうがいいんですよねぇ」

「女性の方がコミュニケーション能力が高いじゃないですか」

 

 教室長は保護者や生徒を相手に面談などをやるのでコミュニケーション能力が高い方がいいのでしょうが、女性だから、男性だから、というのはやはり差別でしょう。

 

 この代表者とは考えが合わないと感じたのでお断りしました。しかし、私にはすでに指導中の生徒もいることですし、それから数年の間アルバイトとして働くことになりました。

 

 後日談ですが、ある日、机の上に資料らしきものが置いてありました。よく見ますと、地方の経済誌のようなものの切り抜きで、A氏が別の塾にいた時のその塾の社長のインタビュー記事でした。


 わが社では女性のコミュニケーション能力の高さを活かすため、多くの女性社員を教室長として登用しています。という事が書いてありました。

 今から20年ほど前の話です。

 

 

・逆プロポーズという言葉


 これは最近の話です。テレビを見ていたら「逆プロポーズ」という言葉が出てきました。

 

 女性から男性にプロポーズすることを「逆プロポーズ」といいます。これも差別だと感じます。本来プロポーズは男性から女性にするもの、という差別意識が見えます。

 

 言葉に敏感にならなければいけないテレビでさえ、いまだにこのような状態に驚きです。

2020年06月04日

日本語のローマ字表記について

新年度が始まりました。

 

新中学校1年生は英語の授業を本格的に習うと思います。

ここで、昔から感じていたことを書きたいと思います。

それはローマ字表記についてです。

例えば、「福島」は「Fukushima」、「鈴木」は「Suzuki」と書きますね。これは日本の地名や日本人の名前をローマ字で表したもので、漢字や仮名文字を読めない外国人に読めるようにしたわけです。

 

私も記憶にありますが、このようなローマ字表記は小学校で習います。これを覚えるために、ローマ字表記で日記を書く、という宿題が出たことがあります。

例えば、「僕は今日、鈴木君と野球をしました。」と言う文を、全てローマ字表記で「Boku wa kyou Suzukikun to yakyuu wo simasita」というふうに。

ローマ字表記を覚えるためとしてはいいのかもしれません。

ところが、です。このローマ字表記が頭にこびりつき過ぎて中学校からの英語の学習に支障をきたす場合があります。

 

かつて教えた生徒は、「Thank you」を「センキュー」(あえて、カタカナで書きます)と読み、意味は「ありがとう」の意味だと知っていました。

(時々「テンキュー」と読んだりもしました。頭文字がTだからタ行だと思ったのでしょう。)

ところが、「ありがとう、は英語で何というか?」と問題を出すと、「センキュー」と答え、「じゃあ、英語で書いてごらん」と続けて問題を出すと、なんと「Senkyu」とか「Tenkyu」などと書いてしまうんです。

頭の中にある英語の読み方を、そのまま日本語のローマ字変換でやってしまうわけです。

こういう生徒はごく一部かもしれませんが、似たような間違いをしてしまう生徒(特に中学生)は多いのではないでしょうか。

(例えば、「泣く」をcryではなく、craiと書いてしまったり。)

 

ローマ字表記は、あくまでも日本の地名や日本人の名前をローマ字で表すために使うだけのもの、と教えると同時に、簡単な英単語の読み方をも練習させるべきと思います。(「同時に」という点が大事です。)

 

ローマ字表記では単語の先頭にある「a」は「あ」ですが、英語では「all」「apple」「art」「April」の中の「a」のように同じ文字でも発音が異なる事がある、としっかり教えるべきです。

 

小学校では上で書いたような宿題をやらせるくらいなら、社会の学習もかねて、日本の都道府県名や自分が住んでいる都道府県内の市町村名を、漢字とローマ字両方で書かせる宿題でも出したほうがいいのではないでしょうか。

 

2020年04月01日

原発事故とコロナウィルスと

数日前、怒りとそして深い悲しみを感じる出来事をニュースで聞きました。

 

私が住んでいる郡山市でもコロナウィルスの感染者が確認されました。その人はある学校の関係者だとのことです。そして、その学校の他の関係者が差別や中傷を受けているというニュース(3月27日付朝日新聞等)を見聞きしました。

 

その学校の他の職員は感染していないと確認されたそうですが、関係者の配偶者が職場に来ないように、あるいは子供を保育所などで預かれないと言われたそうです。

更に、その学校の生徒たちが学校の外で「コロナ」と指をさされて言われたということです。

今までも、コロナウィルスの感染者が確認された病院の関係者(医師や看護師など)が差別を受けた、というニュースがありました。

 

私たち福島県民は原発事故の後、放射能をもとにした差別やいじめ、風評被害を受け、苦しんできたはずではないですか。

私たち福島県民は痛みを十分に知ったはずではないですか。

それなのに、その福島県民が同じ県民市民を今度はコロナウィルスのことで差別、中傷するとは・・・。

 

 

2020年03月28日

隔世の感2-3~男女の別

・技術科と家庭科
私が小中学生のころ、小学校では図工も家庭科も男女共に授業があるのに、なぜか中学校では技術科は男子のみ、家庭科は女子のみ、と分けられていました。


男は外に出て働き、女はうちにいて家庭を守る、というような当時の世の固定観念を反映してのことだったのでしょう。そして、子供のころからのこのような教育が、更に性差による意味のない役割分担を助長していたんだと思います。(例えば、社会に出てからも、お茶くみは女性の仕事だと当たり前のように受け入れてしまうことなど)


そもそも男は料理ができなくてもよい、という考えならば、なぜ小学校では家庭科の授業で調理実習があったのか、と疑問を感じます。

 

・男子校と女子校

かつて、福島県内には男女別の高校が多くありました。

男子校は福島高校、郡山高校、安積高校、会津高校、磐城高校など、女子高は福島女子高校、郡山女子高校、安積女子高校、会津女子高校、磐城女子高校など。

 

上に書いたのは県立高校ですが、意外にも私立も男女別の学校がありました。

郡山では、日大東北高校普通科が男子クラス(今は普通科しかありませんが、昔は工業系の学科がいくつかありました)、尚志高校は女子校でした。中学校では、ザベリオ中学校が女子校でした。

 

ほぼ全ての高校が共学になったことで、昔よりも選択肢が増えたのはいいことだと思います。

一方で、少しくらい男女別の学校があってもいいのではないか、と思ったりもします。

 

私は男子校に通いましたが、男子校に通えて良かったと思っています。中学生時代、好きな異性には好かれたいと思う一方で、それ以外の異性には接したくない、今どきの言葉で言うなら、女子は「うざい」という気持ちがあり、高校では異性を気にしなくていい気楽さを味わいました。

 

大学は男女共学でしたが、再び女子がいるという事に新鮮さを感じたものです。その時はすでに女子は「うざい」とは思わなくなっていたんですね。

 

かつて短期間だけ教えた女子高校生の話です。その生徒は中学時代、行きたい高校がありましたが、その学校は男子校でした。あと1年早く共学化していれば、入れたかもしれません。とても残念だと言っていました。

その男子校が共学になってから入学した最初の女子生徒を数人教えたことがあります。その生徒たちは決して勉学に励んでいるわけではありませんでした。いったい何のために進学校に入ったのか。私は一人に尋ねました。その時の答えがこれです、「受けたら受かっちゃった」と・・・。

勉学に励もうという意欲もなく、受験したら合格してしまった生徒。

その学校にどうしても行きたかったのに性別の違いで受験資格さえなかった生徒。

教育に携わる者として複雑な気持ちです。

 

2020年03月28日

高校生のみなさんへ

前回のブログで、これからはITの活用が必要になってくるのではないか、と書いたら、こんな情報を見つけました。

 

 数研出版 

 学校休業期間における学習支援ICTサービス開始のお知らせ

 

数研出版というのは、教科書や参考書を作っている会社です。

私もこの会社のプリント作成ソフトを買って使っています。

そして、この会社が映像授業を無料で公開しています。スマホやパソコンがあれば見ることができます。この度の学校休校の流れを受けてのことのようで、期間限定です。ただし、終了時期は現時点で未定です。

 

学校は休みですし、ぜひこの機会に利用してみてはどうでしょうか?

 

追記 (3月28日)

 終了日は3月31日とのことです。

 

 

 

 

 

 

2020年03月10日

ウィルスと休校とIT

新型コロナウィルスが感染拡大しつつあるのを受け、小中学校、高校で臨時休校となる動きが出てきました。

子を持つ親として心配な点はいくつかあると思いますが、もし休校が長引けば勉強が遅れてしまうんじゃないか、という心配も今後出てくるのではないかと思います。

 

学習塾に通う子供の場合、塾がフォローしてくれる、ということもあるでしょう。しかし、塾に通っていない子供もいますから、塾のフォローを前提に学校教育は語れませんし、塾に通うのも感染の不安があるかもしれません。

実際、学校は危険で、学童保育なら安全なのか?という不安の声もあるようです。

 

そこで、今後はITの活用が必要になってくると思います。

学習塾や予備校などでは、映像授業というのが当たり前に広まってきました。学校でも映像授業を受けられるようにしてはどうでしょうか。すぐには難しいでしょうが、行う予定だった授業を録画して生徒の家にあるスマホやパソコンにでも送信し、自宅で学習させるのです。

 

とは言え、ネットに接続でき、パソコン、スマホ、タブレット等を持っている家庭とそうでない家庭で差がついてはいけません。生徒全員に端末を無償で提供し、映像授業をダウンロードさせ、またはストリーミングでいつでも授業を見られるようにし、いつでも質問ができるようにすることが必要です。

 

会社でもできるだけ出勤せず、自宅で仕事をする動きが出てきているようです。ある記事を読むと、これを契機にテレワークが広がるのではないか、と書かれていました。

 

教育現場もこれを契機に変わらざるを得なくなるかもしれません。ハード、ソフト両面でいろいろと解決すべき問題はあるでしょうが、今後真剣に考えていくべきと思います。新型ウィルスでなくても、毎年のようにインフルエンザで学級閉鎖などが起きているわけですから。

 

今は既に受験シーズン真っ只中ですが、来年度以降、特に受験生は体調に不安があるなら無理して学校に来なくてもいいように、あるいはインフルエンザが流行しそうなら学校に来ずに自宅で授業が受けられるようなシステムができればいいと思います。

 

2020年03月01日

2月の朗報

3月になりましたが、2月にあった良い話を。

 

先月、指導中の中学1年生が英検に合格しました。

2回目のチャレンジでの合格です。おめでとうございます。

中学1年生に4級は難しいのではないかと思っていたのですが、よくぞ頑張りました。

これからも頑張りましょう!

2020年03月01日

隔世の感2-2~男女の別

前回の続きです。

 

・女子に雑巾がけをさせない教師


中学生の時の担任の先生(女性)は、掃除の時間に女子には雑巾がけをやらせない先生でした。理由は、手が荒れるから、だそうです・・・。女子は手が荒れると困るという理由です。今思えばとんでもない差別です。

 

では、女子は何をやるかというと、ほうき掛けです。床のゴミをほうきで掃いていき、そのあとを男子が濡れ雑巾で拭いていきます。ほうき掛けが終わった後は何をやるかというと、窓ふきです。

窓ふきには雑巾を使います・・・あれ?

床の雑巾がけはダメで、雑巾使っての窓ふきはOKって・・・。

 

ある時、その担任の先生が休みになりました。掃除の時間に副担任の先生(女性、担任より年下)がやって来て、女子を叱りつけました。「どうして女子は雑巾がけをやらないのか?」と。女子生徒は担任の指示だと説明しましたが、その時は結局副担任の指示で雑巾がけをやらされていました。私は副担任の先生に感心しました。

 

後で、担任と副担任との間でどんな話があったのか、あるいは学年主任や教頭や校長まで話があったのかどうかは分かりませんが、結局その後も変わらなかったので、学校内でたいした問題にはならなかったのでしょう。

 

それにしても、その担任の先生は当時40代だと聞いていたのですが、それまでずっとそのような掃除指導をしてきたのか、それまで教頭や校長などから改めるように話はなかったのか、疑問に思うところです。

 

2020年02月09日

隔世の感2-1~男女の別

今回は男女差別、または男女の区別についてお話ししたいと思います。

 

まずは学校での出席番号(名簿に載っている順番)についてです。

私が小中学生の頃は出席番号というのは必ず男子が先で女子が後でした。

どういう理由があったのかは分かりませんが、当時は何の疑問も持ちませんでした。

そして、男子、女子の中ではそれぞれ五十音順というのが普通でしたね。

(でも小学5、6年時は誕生日の順でした。これも理由がよく分かりませんね。誕生日が早い順に卒業していくということでしょうか?でも入学は同じなのだから誕生日は関係ないですよね。。。)

 

高校は男子校で五十音順でした。大学では男女混合で五十音順でした。ちょっと新鮮な感じはしました。

後になって考えたことは、そもそも男女別に分けたのは、これは男女差別などではなく、何か事務的な理由があったのではないか、ということです。ですが、学校で男女別にやる事と言えば、健康診断と中学校以降の体育の授業くらいで、そのためだけに分けるのはあまり意味がない気がしますね。

実際、大学では男女別ではなかったですし、今では小中学校でも出席番号は男女を分けていないと聞きます。

 

次に、学級委員などの役割についての思い出をお話しします。

私が小中学生の頃は、学級委員長は男子、副委員長は女子がやっているクラスが多かったように思います。(私が副委員長をやったこともありますが。)

そして、児童会(小学校)、生徒会(中学校)では会長は男子、副会長は女子、というケースが圧倒的に多かったように記憶しています。

 

小学生って朝は集団で登校しますよね。

私が6年生になった時、強制的に集団登校の班長をやらされました。同じ学年には、他に女子が一人いたんですが、彼女は副班長ということで有無を言わせず決まりました。

(おかげで私は年下の子供たちに「ハンチョー」と言われ慕われました。)

 

学校で使う物が男女で分けられている、ということもありました。最たるものはランドセルでしょう。男子は黒、女子は赤が当たり前の時代でした。今は様々な色があっていいですね。

私が通っていた中学校では、なんとジャージの色まで男女で分けられていました。男子は青で女子は赤、というより小豆のような色(あとでエンジだと聞きました)。

それに加え男子は帽子、女子はハチマキと分けられていました。

これはさすがに当時でも珍しかったようで、私の中学校ぐらいだったようです。



持ち物と色分けについて、学校とは関係ない話です。

去年の暮れ近く、ある電器屋のチラシが入りました。

その中にクリスマスに向けた子供用のおもちゃの宣伝があったんですが、「男の子」「女の子」と分けられているんですね。しかもご丁寧に色分けまでされて囲ってある。。(男の子が青で、女の子がピンクでした。)

男の子の方にはロボットなどのおもちゃ、女の子の方には人形などのおもちゃの写真がありました。

今どきさすがにこれは問題ありだろうと思っていたら、次に入ったチラシにはそういう区別が無くなっていました。誰かがクレームを言ったのかな?と思っていたら、その後で入ったチラシはまたしても分けられていました。不思議なもんです。

いったいどんな人がチラシを作ってどんな人がそれをチェックしているのでしょうか?

 

ロボットが好きな女の子がいてもいいでしょうし、人形が好きな男の子がいてもいいでしょう。赤やピンクが好きな男性がいてもいいし、青が好きな女性がいてもいいでしょう。

 

何の意味もなく、男とは、女とは、こういうもの(またはこうあるべき)、という固定観念があると生きづらい世の中になりますね。


 

2020年02月09日

合格!

現在指導中の高校3年生が、ある県立大学の推薦入試に合格しました。

おめでとうございます.

これで今年度の高校3年生は皆進路が決定しました。

2019年12月15日

隔世の感1

シリーズ「隔世の感」と題し、思い出話と共に感じた事、考えた事を書いていきたいと思います。

 

第1回目は「タバコ」についてです。

最近では公の場所での喫煙が難しくなってきましたね。

私はタバコを吸いません。

学校の先生たちは学校内でタバコを吸う事は今ではもはや許されていないと思います。

学校内に喫煙所がある、なんて聞いたことがないので、タバコを吸う先生たちは外で吸ったりするのでしょうか?

 

私が子供の頃は学校内で、しかも教室内でタバコを吸う先生っていましたね。

ある担任の先生の場合、生徒たちがプリントの問題を解いている間に、教卓で右手に赤ペン、左手に火のついたタバコを持って別なプリントの採点をやっていました。

またある先生は、「二日酔いで頭が痛い」なんて言いながら、椅子に座ってタバコの煙をくゆらせていました。

今の感覚では信じがたい事ですが、私を含め当時の子供たち、そして保護者たちも気にもしていなかったんだと思います。その頃はまだ「受動喫煙」という言葉自体なかったのかもしれません。

 

学習塾の場合はそれぞれ対応が違うと思いますので、一概には言えませんが、講師が生徒の前で吸う事はどこの塾でも許されていないことは容易に想像できます。

私が20代後半に勤めていた学習塾にも、喫煙者の講師は周りに何人かいました。彼らは給湯室(と言っても、ドアなどがないスペース)で換気扇をつけてタバコを吸っていました。喫煙者がそこで数人話しながらタバコを吸ったりすると、換気扇の排気が追い付かないのか、教室に入るとちょっと臭ったりしてました。

 

別な学習塾で働いていた時は、喫煙できる場所が教室内に無いため喫煙者の講師が外に出て吸っていました。しかし、比較的人通りの多い場所だったので、それはそれでいかがなものかと、今にしてみれば思います。いっそのこと喫煙スペースを作ったほうが、近所のクレームなど来なくて済むのでは、と思いますが、わざわざ一部の喫煙者のために作るなら、生徒たちが使える自習スペースでも作ったほうがいいですよね。


 

 

 

2019年12月03日

10月の朗報

ずいぶん久しぶりの更新です。

先月良い知らせがありました。


1つ目は指導していた高校3年生の進学先が決まったこと、

2つ目は現在も指導中の中学生のうち2人が英検に合格したことです(4級と5級)。

おめでとうございます。

学生のみなさん、これからも勉学に励みましょう!

 

2019年11月12日

進学おめでとうございます

今年指導した高校3年生から

4月に某大学の薬学部に進学することが決まったと連絡がありました。

 

今後のご活躍を心よりお祈り申し上げます。

2018年03月31日

英検3級合格!

少し遅れましたが、

 

現在指導中の高校1年生が英検3級に合格しました!

 

おめでとうございます!

 

3級から上は2次試験があります。

 

面接の練習を何度もやった成果がありました。

 

2017年08月01日

親には案外見えていない

以前家庭教師をしていた生徒の保護者はこう言っていました。

 

「うちの子は勉強の習慣は身に付いています。」と。

 

しかし、何度か指導して気付きました。

 

集中力がない、と。

 

私が隣にいるにもかかわらず、勉強以外の事をやりだす始末。

 

(一応椅子に座って、体は机に向かっている。)

 

おそらく普段からこんな調子なのでしょう。

 

親から見ると、子どもが自分の部屋で静かに過ごしている、

 

だから勉強している、と思っているのかもしれません。

 

ある生徒は私にはっきり言いました。

 

「親の足音が部屋に近づいてきたときはゲームを隠して、勉強してるふりをする。」と・・・。

2017年06月15日

自分の部屋にテレビがある生徒

私にとって、自分の部屋にテレビがある生徒は要注意でした。

 

「でした」と過去形なのは、現在ではテレビよりもスマホのほうが要注意ではないかと思うからです。

 

かつては自分の部屋にテレビが置いてある生徒というのは少数派でした。

 

男子生徒の部屋にテレビがあるということは、たいていはセットでテレビゲームがあります。

 

親の目の届かない自分の部屋、そしてテレビゲーム、

 

これじゃあ、勉強なんてやらんでしょう

 

というのが私の正直な感想です。

 

ある生徒は、私が生徒の部屋に入ってもテレビがつけっぱなし、

 

なんてこともありました。

 

試しに何も言わずに授業を始めても、テレビはそのまんま・・・。

 

さすがに我慢できなくなって「テレビ消して」と言いましたが、

 

家庭教師が来て授業を始めているのに、テレビをつけたままって・・・。

 

ある生徒の場合はテレビではなく、パソコンでした。

 

ネットでゲームをやっていたらしく、ゲームのBGMが流れっぱなし。

 

これも気になったんで消すように言いましたが。

 

 

今では、テレビはなくともスマホを持っている生徒は多いと思います。

 

言うまでもないですが、電話、メール、ネット、ゲーム、スマホが1台あれば、

 

いろんな楽しいことができます。

 

学校や塾の授業中はもちろんですが、自分の家で学習している時も、

 

誘惑に負けない為に、電源は切ったほうがいいでしょう。

 

 

 

友達にも周知しておくように生徒に話したこともあります。

 

「○時から○時までは勉強するから電源切っておくから。」と

 

あらかじめ友達どうしでお互いに話しておきなさい、と。

2017年04月28日

学習は時間よりも内容や量で管理

かつて教えていたある生徒は、理解がはやく、そして集中力がありました。

 

こちらが問題を出すとすぐに取りかかり、あっという間に解いてしまいます。

 

自宅で復習できるように宿題を出しても、

 

あっという間に終わってしまうようでした。

 

その生徒の母親はもっと宿題を出してください、と言っていました。

 

宿題を短時間で終わらせてしまうので、

 

親からはあまり勉強してないように見えるのでしょう。

 

しかし、教えたことはよく理解できていますし、(その生徒は中学生になってから、学年で1位になったことが何度もありました)

 

簡単な問題を沢山やらせても意味がないので、宿題をむやみに増やすことはしませんでした。

 

長時間勉強しているように見えても、集中していなければ、かけた時間ほどの効果はないでしょうし、

 

逆に集中すれば短時間の学習でも効果は十分にあると思います。

 

もちろん、長時間集中できれば、それはそれでよいのですが。

 

集中して頑張っている子が、時間が短いという理由で

 

さぼっているかのように思われるのはとても理不尽ですね。

 

親や教師が子どもに毎日ある程度以上の決まった時間を机に向かわせようとするのは

 

やや無理があるのではないか、と思います。

 

取りあえず机に向かっても、時々ぼ~としたり、ノートに落書きしたり、

 

そんなことしながら10問くらい問題を解いて、1時間が経った、

 

1時間勉強した気になる、というのは時間がもったいないですね。

 

そんなことなら、はじめから、問題を10問解いたら好きなことをやっていい、

 

としたほうがおそらく集中して短時間で終わらせるのではないでしょうか。

 

私の経験では勉強が好きな子はめったにいません。(だから塾に来るのでしょうが。)

 

そして、集中して勉強するのは疲れるものです。

 

「同じ1時間勉強するなら、集中すると疲れるから、のんびりやろう。」

 

と考える子どもがいてもおかしくありません。

 

 

中学生なら、「今日は2時間勉強する」と決めるよりは、

 

「今日学校で習った連立方程式の問題をもう1回解いて復習する」、「今日学校で習った英単語を練習して覚える」、「ワークを3ページ終わらせる」

 

というように、時間ではなく、内容や量で管理するのがいいと思います。

 

 

ただし、量で管理する場合は注意が必要です。

 

「ワークを3ページ終わらせる」、「数学の問題を10問解く」というような場合は、

 

答え合わせをし、間違えた問題があったら、をなぜ間違えたか、という事を考えたり、調べたりして、

 

問題を解決するまでをその日の学習とします。

 

(ただし、どうしても分からない所は置いておきましょう。)

 

分からないけど取りあえず答えを写して終わり、

 

ということにならないようにしましょう。

 

2016年10月18日

ノート作り

成績はあまり良くないけれど、

 

ノートはものすごく綺麗に作ってある、

 

という生徒は要注意です。

 

ノートを作ること自体が目的化してしまっている可能性があります。

 

ノートはあとで見直すためや、

 

書くことによって考えを整理するため、視覚化して記憶に残りやすくするため、

 

という目的のために作りましょう。

2016年09月28日

英単語の練習

英単語の練習は、

 

初めのうちは読んで書いて練習しましょう。

 

では、1つの単語につき何回書けばいいか、

 

それは一概には言えません。

 

例えば、自分で、これは覚えやすいな、と思った単語は5回、

 

覚えにくそうだな、と思った場合は10回、というふうに

 

自分で回数を考えてみてください。

 

あくまでも目的は覚えることです。

 

ただ手を動かせばいい、というものではありません。ただの作業にならないように注意が必要です。

 

書きながら声に出して読んで練習しましょう。

 

その際、どの文字が何と発音するのかを意識しましょう。

 

 

例えば、Englishという単語の場合、

 

「イングリッシュ、英語、イングリッシュ、英語、イングリッシュ、英語」

(発音はカタカナで書きましたが)

 

Eを書いたときに「イ」、nを書いたときに「ン」、gで「グ」、
liで「リ」、shで「シュ」、

 

というふうに、書きながら声に出して練習しましょう。

 

何個か書いて覚えたと思ったら、目をつぶって、

 

「イングリッシュ、英語、E、n、g、l、i、s、h」

 

と言えるかどうか確認しましょう。

 

これが言えないのなら、まだ練習が足りません。

 

特に、読めて意味が分かるけれど書き間違える、と言う場合は、

 

書く練習が足りないのだと思います。

 

そして、一度練習した単語はあとで覚えているかどうか確認しましょう。

 

後で復習するときは、単語カードを使うのがいいですね。

 

英語から日本語、日本語から英語、に訳せるようになるまで練習しましょう。

2016年09月09日

やりたいことよりやるべきことを

好きな勉強をやりたいようにやっているだけだと、

 

成績が上がらないかもしれません。

 

そんな時は、

 

やりたいこと、よりも、やるべきこと、を優先させましょう。

 

何をやるべきか分からない時は、

 

学校の先生や塾の先生に相談してみましょう。

 

2016年09月08日

個別塾講師選び、家庭教師選び

今回は個別指導の塾講師や家庭教師をどのようにして選んだら良いか、についてお話しします。

 

まず最初に知っていただきたいのは、私の実感として個別指導の塾講師も家庭教師も、アルバイトが多いです。

 

社会人の場合、昼間に他の仕事をして、夜に副業として個別指導塾講師や家庭教師をやっている人もいました。

 

以前勤めていた個別指導塾ではほとんどがアルバイトの大学生でした。

 

さて、本題に入ります。

 

結論を言うと、相性が合って経験が豊富でこの仕事で生計を立てている人を選ぶのがいいと思います。

 

この仕事で何年も生計を立てている人なら、それなりの腕と責任感があると思います。

 

そういう人が見つからない場合は以下を参考にしてください。

 

1.経験で選ぶ

 

 指導経験を言えば、大学生の経験は多くても数年ですが、社会人なら経験豊富とは限りません。

 

 授業を受けるだけでなく、最近の受験生としての経験を聞きたい、実際の大学生活を聞きたいと言うなら大学生を選びましょう。

 

 特に、目指す大学に通っている学生に教えてもらえれば、やる気も湧くかもしれません。

 

 例えば、医学部を目指す生徒さんが、現役の医大生に教えてもらう、というのは大いに意義があると思います。

 

 社会人としての経験、人生経験は社会人の方が多いでしょうから、そういった面での助言を得たいなら社会人を選びましょう。

 

 例えば、教師を目指す生徒さんが、学校で教師として働いた経験のある講師を選ぶ、などです。

 

 

 

2.定期的に指導してくれそうな人を選ぶ

 

 大学生の場合、自分の大学の試験があるから試験勉強のために休ませてほしい、レポートを急いで書かなければならないので休ませほしい、夏休み、冬休みなどの長期休暇に実家に帰省するのでしばらく休ませてほしい、という講師が私の周りにいました。

 

 社会人ならこういう理由で休むことはありませんが、本業が忙しいので休ませてほしい、という講師はいました。

 

 

 

3.受験が終わるまで指導してくれそうな人を選ぶ

 

 大学生が指導する場合は、その大学生が今何年生か確かめておくといいでしょう。

 

 四年制大学の4年生なら、就職のため、ほぼ確実に今年度いっぱいで退職します。

 

 1~3年生の場合でも、学年、学期が変わり、大学の勉強が忙しくなった、就職活動で忙しくなる、と言う理由で退職する可能性があります。

 

 社会人のアルバイトの場合、新しい就職先が決まった、妊娠出産を機に、という理由で年度の途中で退職する講師が私の周りにいました。

 

 他には、配偶者の転勤で退職する、という人もいるかもしれません。私の周りには、配偶者ではなく、交際している人が転勤するので、という理由で辞めていった講師もいますが・・・。

 

 

 

4.最後に

 初対面で相手が責任感の強い人かどうかを見極めるのは難しいと思います。

 

 大学生でもしっかりした人はいます。社会人なら責任感が強いとは限りませんので注意が必要です。

2016年08月28日

成績を上げるために3

学生の皆さん、テストで自信をもって解いたはずの問題が間違っていた、という事はありませんか?

 

数学の場合、符号を間違えていた、引き算を間違えていた、などということはありませんか?

 

こういう単純な間違いをしていると、なかなか点数に結びつかないものです。

 

テストでは必ず見直しの時間を残しておきましょう。

 

難しい問題に時間をかけ過ぎて見直す時間がなかった、と言わないようにしましょう。

 

これまでに受けたテストの結果を見て、自分がどこでケアレスミスをしやすいか把握しておきましょう。

 

私が担当している生徒の中にもよくケアレスミスをする生徒は少なからずいました。

 

テスト前の指導では「難しい問題は後回しにして、ケアレスミスしていないか、解いた問題を必ず見直しするんだよ。」と言っても、見直ししない生徒が時々います。

 

それで比較的簡単な問題でケアレスミスをし、失点していました。

 

その生徒を答案を見ると、最後の方の応用問題が中途半端に解いてあったりします。残念ながら部分点すら入っていません。

 

「途中で時間切れになった」、「途中で分からなくなった」と言うんですが、難しい問題を中途半端に解くくらいなら、その時間を見直しに充てた方がずっといいと思います。

 

そういう話を生徒にしても、試験本番になると、「最後まで全部解けるんじゃないか」と思ってしまうようです。

 

自分が絶対に解ける問題、なんとなく解けそうな問題、を把握しておきましょう。そして、どのくらいの時間なら解けるか、普段から意識しましょう。

 

なんとなく解けそうな問題の場合が要注意です。見直しをしたうえで、それでも時間が余っていたらとりかかるのが賢明ではないでしょうか。


 

まず、テストでは問題全体を見て、自信をもって解ける問題から解いていきましょう。

 

数学の場合、一般的には、最初の方に簡単な問題が、最後の方に難しい問題があります。そのため、ほとんどの人が最初の方から順番に解いていくと思います。

 

気を付けるべき事は、最初の方に難しい問題、苦手な問題、解き方を忘れてしまっていた問題があった時に、そこに多くの時間をかけてしまわないことです。

 

こういう時は焦らずにいったん後回しにして、別な問題を解きましょう。後の方に簡単な問題があるかもしれません。

 

そして、上でも述べたように必ず時間を残して見直しに充てましょう。

2016年08月27日

成績を上げるために2

前回の続きをお話ししたいと思います。

 

多くの生徒は成績を上げるために塾に行きます。

 

そんなこと当たり前と思われるかもしれませんが、中には「仲のいい友達が行っているから」という理由で行く生徒もいるようです。

 

そして、「分からない所を教えてもらいたいから」個別指導塾に行く、家庭教師を付けるという生徒もいます。

 

「成績を上げるため」と「分からない所を教えてもらうため」では意味が違います。

 

(どちらも前向きなのは評価しますが。)

 

分からない所を教えてもらい、その時は理解できても、試験で自力で解けなければ成績は上がりません。

 

経験の浅い教師の場合、生徒から「分からない所があるので教えてください。」と言われれば、その問題がその生徒にとってどんなに難しい問題でも一生懸命教えると思います。

 

私も塾講師や家庭教師を始めたばかりの頃はそうでした。

 

でも、時間を掛けて一生懸命教えても、その生徒が自力で解けるようにならなければ成績は上がりません。

 

私は、どうすれば生徒1人1人が自分の力で解けるようになり、成績が上がるかを考えるようになりました。

 

そのため、この生徒にとっては難しすぎるな、もっと優先すべきことがあるな、と判断した場合は、「教えてほしい」と生徒に言われても、その時は教えないこともあります。

 

もちろん、理由はちゃんと説明します。「君にはもっと優先してやるべきことがあるよ。今の君にはまだまだ難しいから、今はまず基礎をしっかり身に付けないといけないよ。」というふうに。

 

それでも「どうしても教えてほしい。」と言ってきた場合や、ものすごく不満そうな顔をした場合は教えることもあるかもしれません。

 

ある高校生の例をお話ししましょう。

 

その高校生は学校では成績上位にいました。

 

学校の定期テストの前に数学を教えました。

 

この時、これはまずテストに出るだろうな、と思われる応用問題がありましたが、私はごく簡単に教科書を見ながら口頭で説明するだけにとどめました。

 

解法の手順はそれほど難しくはないものの、途中の計算などで時間を取られてしまいそうな問題でした。

 

その代わり、他の問題をしっかり復習させました。

 

生徒にもその旨を説明し、「もしテストでこの応用問題が出たら後回しにして、残り時間を見て、時間がなければ解かなくてもいいよ。その代わり、他の問題でケアレスミスしてないか、残り時間でよく見直しをしてね。」と言いました。

 

テストではまさにその問題が出ました。

 

結果は100点満点中95点でした。

 

その生徒は指示通りに実行し、最後のその問題には全く手を付けませんでした。

 

その代わり、しっかり見直しをして他の問題は完璧にできていました。

 

保護者様にテストの結果を報告し、この件についてお話ししたらとても喜んでおられました。

 

得点できる所で確実に得点する。これが大事です。

2016年08月26日

成績を上げるために

成績を上げるために必要なことは勉強すること、と言ってしまえば当然のことだと思われるでしょう。

 

しかし、毎日数時間やっているのになかなか上がらない、という生徒さんもいるでしょう。

 

根本的に勉強のやり方やが合っていないのか、勉強すべき所を間違えているのかもしれません。

 

では、自分に合う勉強方法や勉強すべき所をどやうやって見つけるか。

 

ある人は自分で試行錯誤を繰り返しながら、自力で見つけるかもしれません。

 

それはそれで意義のあることだと思いますが、時間がかかります。

 

てっとり早く学校の先生、塾の先生、家庭教師に相談してみましょう。

 

そして、言われたことを具体的に継続して実行してみましょう。

 

しばらく経っても成績が上がらなければ、やり方を変えることを考えましょう。

 

この時も自分で判断せず、先生に相談しましょう。

 

私の経験をお話しします。

 

中学生の頃から指導していたある生徒は、こちらの指示に従い、学校の宿題はもちろん、塾の宿題、家庭教師の宿題を欠かさずこなしていました。

 

この生徒の成績は上がりました。

 

高校生のある生徒は「何をやっていいのか分からない。」と言っていました。

 

その生徒は基礎ができていなかったので、教科書の例題や問題、そして教科書対応の問題集をやるように指示しました。

 

しかし、「あの問題集は自分には合わない」、「もっといい参考書や問題集はないですか

?」と言い訳をして結局実行しませんでした。

 

宿題を出しても、やったりやらなかったり、でした。

 

入試の結果は散々なものでした。

 

別な高校生もやはり基礎ができていなかったので、最初の数回は前の学年の内容に戻り、基礎の復習をさせました。

 

しかし、「別な所をやりたい」と言うようになり、こちらが用意した内容を嫌がるようになりました。

 

教室の責任者にも相談しましたが、結局は生徒のやりたい所をやりたいようにさせる、ということになりました。

 

少しでも復習になるようにと、強制はしませんでしたが、時々プリントを作って渡してもほとんどやっておらず、

 

1年以上の間、成績はほぼ横ばいのまま卒業していきました。

 

成績を上げたくて塾に来ているはずなのに、教師の指示に従わない、これでは成績アップは望めないでしょう。

2016年08月25日

相性は大事です

個別指導塾の講師や家庭教師を選ぶ際は、生徒との相性も重視しましょう。

 

相性というのは、性格的な部分だけでなく、教え方も含めてのことです。

 

教師の説明が分かりにくい、というのは論外ですが、「分かりやすいけど、この先生なんか嫌だな・・・。」と感じたら、その教師はやめておきましょう。

 

大きな塾や家庭教師の会社なら遠慮なく教師を交代してもらいましょう。

次は相性の合う先生が見つかるかもしれません。

 

個人契約の場合は、できれば体験授業を受けさせてもらって、それから判断しましょう。

 

私が体験授業を設けているのは、相性を見ておく、という考えもあってのことです。

 

ただ、実際に体験授業の後でこちらからお断りしたことは一度もありません。

実は、お断りすれば良かった、と後悔したことは一度だけあります。

 

詳しくは別の機会にお話ししたいと思いますが、その生徒さんは結局自分から解約を申し出てきました。

 

 

私の経験上では、女性教師を希望する女子生徒が時々いました。

しかし、実際のところ性別はあまり重要ではないな、と感じました。


理系(特に高校の理系)科目を教えられる女性教師は少ないです。

そのため、女性教師希望でも実際は男性教師が担当することもあります。

 

私も何度か女性教師希望の女子生徒を担当したことがありますが、何の問題もありませんでした。

 

問題がないどころか、楽しそうに授業を受けているな、と感じたこともあります。

 

ある中学生女子生徒(女性教師希望)の場合、

 最初に女性教師(社会人)が担当する

  ↓

 教え方が合わないという理由で、1回で教師交代を申し出る

  ↓

 適任の女性教師が他にいなかったので、やむを得ず私が担当する

  ↓

 楽しく授業を受けている。数回の授業が終わっても教師交代などの申し出はない

  ↓

 新しい女性教師(大学生)が採用されたので担当してもらう

  ↓

 「鈴木先生のほうがいい」と教師交代を申し出る

  ↓

 最終的に私が担当し、成績もアップ

 

という事もありました。塾講師を始めたばかりのころの話です。

 

相性が合うことによって勉強が楽しくなり、成績アップにつながる、という可能性は大いにあります。

 

ただし、おしゃべりが好きな生徒の場合、相性が合うことによって、おしゃべりに夢中になってしまう可能性がある点は注意です。

 

ある保護者様は、「娘はおしゃべり好きなので女の先生だと勉強にならないと思うので、男の先生にお願いしたい。」と言っていましたが、性別は関係ないと思います。

 

未熟な教師なら、一緒になって授業中におしゃべりに興じてしまうかもしれませんが、性別は問題ではなく、教師の力量によると思います。

 

 

女子生徒の中には、男性教師を希望する生徒もいました。

「女の先生はネチネチしていそうでイヤ。」と言っていましたが、もちろんそのような女性教師ばかりではありません。

その生徒は、学校の女の先生によほど嫌な思い出でもあったのでしょうか・・・。

 

 

2016年08月22日

個別指導塾と家庭教師4

今回はお金の話です。あくまでも私個人の経験からお話しします。

 

個別指導塾と言っても、教師1人が生徒を同時に何人教えるかによって料金は違ってきます。

1対1(教師1人に生徒1人のマンツーマン)ですと料金は一番高くなります。

個別指導の場合、教師1人に対する生徒の人数が多くなるほど、教師が生徒1人に対して直接教える時間は短くなるので、料金が安くなるのは当然ですね。


例えば、1回80分授業だとすると、1対2の場合2人に教えるわけですが、1人に教える時間は多くても半分の40分という事になります。

 

また、一般的に生徒の学年が上がるほど料金は高くなります。

 

具体的には、私が勤めていた個別指導塾(教師1人に生徒2人)では、80分授業で1回あたりの料金が中学生で約3千円、高校生で約4千円でした。

 

別な塾(教師1人に生徒1人)では、私が頂いていた報酬から推測して、1時間あたり4千円から5千円くらいではなかったかと思います。

(なぜ推測かと言いますと、その塾では、授業料をホームページ、チラシなどでは公開しておらず、教師にすら教えないようにしていたからです。

なぜ教師に教えないのか不思議ですが、(個人契約して)生徒を取られてしまうのを恐れていたのか、生徒側が払う授業料と教師の報酬のギャップがありすぎるのを知られたくないのか・・・。)

 

お金だけを考えれば、個人の家庭教師に頼めばずっと安くて済みます。

お金以外の点を考えれば、安ければいいというものでもないですが。

 

学生の教師なら1時間あたり1500円くらいでもやってくれる人がいます。

社会人でも1時間2000円から3000円くらいが相場だと思います。

(有名私立中学受験ならもっと高くてもいいと思いますが、郡山ではそういう生徒はまずいないでしょう。)

 

そして何より、個人契約の場合、教師の気持ちが違ってきます。

 

先ほど挙げた個別指導塾(教師1人に生徒2人)の場合、1回の授業で私が高校生を2人教えると4千円×2=8千円の売り上げになりますが、私への報酬は2千円ちょっとでした。3分の1以下です。社会人にとっては十分に生活していけるだけの収入にはなりません。しかも2人分の授業の準備をしますが、自宅でプリントを作る、予習をしておく、早めに塾に行ってコピーとる、授業と授業の間の時間に準備する、といった時間については時給は一切発生しません。(ブラックバイトと言われる理由の一つです。)

 

個人契約の場合、保護者様が払ったお金は全部教師の収入となります。生徒が増えればこの仕事だけで生活していけます。準備も含めて仕事に身が入ります。

 

個別指導塾講師や家庭教師として働いた経験のある身として、個別指導塾に子供を通わせている保護者様、家庭教師会社に家庭教師を頼んでいる保護者様に理解して頂きたいこと それは、払っている授業料の多くは教師の手には渡るとは限らず、塾の宣伝費、家賃、光熱費、事務員の人件費(もちろんこれらは必要不可欠なものです)などに充てられている可能性があるということです。会社によっては「維持費」「管理費」と称し、授業料以外のお金を頂く場合もありますが、これだけで講師の人件費以外の必要経費がまかなえるとは到底思えません。

 

冒頭にも書いたようにこれはあくまでも私個人の経験ですので全ての個別指導塾や家庭教師の会社に当てはまるわけではありません。ご了承ください。

 

2016年08月20日

個別指導塾と家庭教師3

今回は教える人についてお話ししたいと思います。

 

私の経験上、個別指導塾の講師と家庭教師に大きな違いはありません。

 

ほとんどがアルバイトの大学生です。

よく理解して頂きたいのは、社会人なら皆プロレベルかというと決してそうではない、という事です。

社会人でも経験が浅い人もいます。

 

前回お話ししたように、1対複数の個別指導塾の場合は1回1科目というのが原則です。

2科目受けたい生徒は週2回塾に来る、ということになるわけですが、科目ごとに講師が代わる可能性があります。

 

私が勤めていた個別指導塾では講師を大きく理系、文系で分けて、高校生だけでなく中学生の授業も、理系の講師には理科、数学を、文系の講師には国語、英語、社会を担当させる、といったことが行われていました。

 

例えば、私は中学生には英語も教えることができますが、その塾では中学生の英語の授業を担当することはほとんどありませんでした。

 

科目を分担することは大きな問題ではないかもしれません。

 

利点を挙げれば、講師にとっては自分の得意な科目だけを教えればよいので、負担が軽くて済む、という点です。

 

例えば、数学だけを教える講師なら、授業前に数学だけを準備、予習すればよいので負担が少ないですね。

1日に4人の生徒の数学を教えるとして、もしその4人が同じ学年なら教える内容がほぼ同じだとすると準備は1回で済むわけです。

しかし、もしその4人の授業が国語、英語、数学、理科と科目が違っていたら、講師は授業の前に4科目の準備をしなければなりません。

慣れていない講師にとってはこれは大きな負担になり、準備不足のままヘタな授業を行い、結局は生徒にとって不利益になる可能性があります。

 

個別指導塾のアルバイトの求人に「得意な科目だけでもOK」と書いてあったりするのは、講師の負担を軽くするためなのでしょう。

 

欠点を挙げるとすれば、習っている科目全てで相性の合う講師に当たる確率は低くなる、という点です。

 

例として、私の経験をお話しします。

私が理系科目を担当していた高校生がいました。受験が近づき、英語や国語も受けた方がいいのではないか、という話になりました。

私は高校の文系科目は教えられませんので、他の講師に担当してもらいました。

ところが、しばらく経ってから、その文系担当の講師を交代する、という事になりました。

その講師は経験豊富で実績もあり沢山の生徒を担当していたのですが、どうやら相性、あるいは教え方が合わなかったようです。

このような経験は1度や2度ではありません。

 

逆のパターンもありました。

ある講師が担当している生徒がいました。

受験が近づき他の科目を私が担当することになりました(私が担当することになった理由は、その講師のスケジュールに空きがなかったからです)が、数回教えた後、講師を交代してほしい、と事務所に連絡がありました。

どうやら私の教え方が合わなかったようです。

 

せっかく自分に合う教師が見つかったのであれば、その人にいろんな科目を教えてほしいですよね。

 

家庭教師なら複数科目教える人がほとんどではないでしょうか。

1科目だけしか教えられない、という家庭教師にはほとんど仕事が回ってこないと思います。

個人契約の家庭教師のホームページを見ると分かります。



個別指導や家庭教師は教える人と生徒との相性が重要です。

体験授業を受けてみて相性が合う教師を探しましょう。

2016年08月19日

個別指導塾と家庭教師2

前回は授業時間についてお話ししました。

今回は指導科目について私の経験からお話ししたいと思います。

 

私が勤めていた1対複数の個別指導塾では、1回の授業で指導する科目は1教科とほぼ決まっていました。

「ほぼ」と言うのは、ある塾では塾長の許可を得た上で1回に2教科教えたこともあったからです。

(1対複数の個別指導塾というのは、教師1人に対して生徒が2人以上いる授業形態の個別指導塾です。)

 

例えば、週に1回数学を習いに来ている生徒には毎週数学しか教えないです。

となると、県立高校受験には5科目必要ですから、本当は週5回来てもらうのが理想です。

しかし、個別指導塾に週5回通わせるのは相当なお金がかかるため、週2回、多くても週3回という生徒がほとんどでした。

 

5科目に対応するため、ある塾では定期テスト前に教室を開放し、自習という形で5科目学習させたり、夏期講習や冬期講習中に変則的な形で授業を組んで5科目教えたり、といったことが行われていました。

 

いずれにせよ、講習などではなく通常の個別指導で5科目教えることはまずありませんでした。

 

家庭教師ならば、もっと自由度は高いです。

1回90分の授業で2科目教える、120分で3科目教える、ということがあります。

それも生徒の状況に応じて臨機応変に変えられます。

中学生の場合、週2回か3回ほどで5科目に対応できます。

(あくまでも生徒の状況によります。勉強が本当に苦手な生徒さんなら90分で1科目を徹底して教えなければならないかもしれません。)

 

教師1人に対して生徒1人のマンツーマンの個別指導塾の場合は、家庭教師と同様自由度は高いです。

しかし、教師1人に対して生徒複数の個別指導塾に比べ、当然料金は高めです。

 

個人の家庭教師なら料金もそれほど高くありません。

 

個人の家庭教師ならば、1対複数の個別指導塾に払うのと同じくらいの料金で、マンツーマンで教えてくれます。

 

個人の家庭教師を紹介しているホームページなどで、複数科目指導できる人を探してみてはいかがでしょうか。

 

2016年08月18日

個別指導塾と家庭教師1

個別指導と家庭教師の違いについて私の経験から述べてみたいと思います。

 

まず、授業時間について。

個別指導塾は塾によって授業時間が決まっています。個人の家庭教師ならば生徒の状況に合わせて時間が自由に決められます。

これは大きな違いです。

 

私が勤めていた個別指導塾は1回80分、90分というのがありましたが、小学生ですと90分は長いかもしれません。(もちろん生徒によって違います。)

 

個人の家庭教師ならば、集中力が続かない生徒に対しては1回60分(あるいはもっと短く)、高校生で集中力があるなら120分、というように自由に対応できます。

最初のうちは短めの時間で、集中力が付いてきたら少し時間を延ばす、ということも可能です。

 

生徒がやる気満々で次から次へと質問をぶつけてくる。私は次から次へと質問に答える。気が付けば120分の授業時間はあっという間に終了に近づいていた。

生徒と2人で「あれ?もうこんな時間?今日は時間が過ぎるの早いね~。」「あっという間ですねー。」

そんな経験が何度もあります。

きっと生徒にとって充実した時間であったと思います。

これが80分、90分の授業なら時間が足りず、不完全燃焼になっていたかもしれません(お互いに)。


2016年08月17日

嬉しいニュースがありました

中学3年生の生徒から英検4級に合格したという連絡がありました。

試験前に何度か対策をし、よく復習し勉強した結果だと思います。

 

この生徒さんはご家庭の事情で休止中だったのですが、夏休みにまた受講したいと言ってくれました。

とてもありがたい話です。

 

2016年07月11日

ブログ始めました

他の場所でブログをやっていたことがあります(家庭教師や塾の仕事のこと)。

このHPでも時々記事を書いていこうと思います。


2016年07月01日